第22回

リコー三愛グループの絆で結ばれた

三愛会

「従業員は事業の協力者である。信条とする三愛主義を徹頭徹尾貫いて、彼らが勤めを楽しい面白いこととして愛するように導いていきたい。そして、働くことに何の心配も付きまとわない、世界のどこにも類例のない独特の『市村産業団』というものをつくり上げていきたいと念願している」

市村は、事業家として歩み出した時から抱いていたこの思いを実現するには、まずは会員会社相互の連携を図ることが大切だと考え、「三愛会」を発足しました。

三愛会の前身は太平洋戦争のさなかに7社構成で設立された「けい会」です。市村は、「組織体の運営にあたり、最も心すべきは感情問題の発生である」と思っていました。人と人とのささいな感情のもつれが大きなわだかまりとなることは少なくありません。従って、常日頃からお互いに意思疎通を図り、親睦を深めておくことが大切なわけですが、特に戦争という非常時においてはなお一層必要だと考え、それを促進する場として「自蹊会」を組織したのです。

終戦を契機に「三愛会」と改称するとともに、『三愛精神(人を愛し 国を愛し 勤めを愛す)』を発表。さらなる各社間の連携や意思疎通によって、より強固な「市村産業団」の実現を目指しました。

また、グループ会社とその社員たちを結ぶツールの一つとして、機関誌『三愛』(現『三愛会会誌』)を創刊しました。

1968(昭和43)年、病に倒れた市村は、後事を託する人たちを集めてさまざまな指示を行うとともに、「リコー三愛グループ各社はバラバラになってはいけない、三愛会は結束を強化しなくてはいけない。互いに助け合っていきなさい」と強く命じたのでした。

今日のひとこと
〜市村清の訓え〜


今日のひとこと 〜市村清の訓え〜