第20回

佐賀県民のためのテレビ局を

サガテレビ

「故郷の佐賀に恩返しがしたい。母校の北茂安小学校に講堂を、青少年のために体育館を贈ることができたが、もっと何かできることはないだろうか」と、日々思い続けていた市村の耳に届いたのが、民放テレビ局開局を切望する声でした。

昭和30年代半ば、九州の福岡、熊本、長崎など民放テレビ局が相次いで開局しましたが、佐賀県はそのはざまにあって、他県から飛んでくる電波によるテレビ視聴が続いていました。もちろん佐賀県にも民放テレビ局を設立しようという動きはありましたが、公共放送(NHK)がある、福岡と長崎の民放局からの電波で十分カバーできている等々の理由で、実現には至らなかったのです。

1961(昭和36)年11月、市村は自らを発起人の一人として「佐賀放送」を設立し、九州電波監理局にテレビ局の開局を申請しました。

「佐賀県が九州の後進地域から脱却するためには、地元の放送局が必要なんです」

「佐賀県は台風常襲地帯で、毎年県民たちが苦しめられています。地元の放送局から正確で速やかな情報を県民たちに伝えたいんです」

市村たちは強く訴えましたが、この申請は結果的に許可されませんでした。

それから6年後の1967(昭和42)年、郵政省が発表したテレビの新局免許の割り当て地区に佐賀県が含まれたことを受けて、市村たちは直ちに佐賀放送名義で再申請、11月1日、待望の予備免許を受理しました。

1968(昭和43)年3月16日、佐賀放送設立。代表取締役会長に就任した市村は、これで佐賀の民放テレビ局も周りの県と肩を並べることができると安堵したのでした。

6月12日、県民たちが親しみを込めて使っていた「サガテレビ」という呼称を正式社名(「株式会社サガテレビ」)とし、翌年4月1日、開局。当時、日本一小さいテレビ局でした。

今日のひとこと
〜市村清の訓え〜


今日のひとこと 〜市村清の訓え〜