1961(昭和36)年1月、病気で亡くなった三愛石油の社員の葬儀に参列した市村は、幼い少年が祭壇の前で小さな手を合わせている姿を見て、胸が詰まりました。
「働き手である父親を亡くした子供たちのこれからの生活はきっと大変に違いない。せめて学費を援助してやりたい」
市村は三愛会の理事たちに、自分のポケットマネーを出すから遺児たちに育英資金を与える方法を考えるように指示しました。
三愛会では早速組織づくりに着手し、2月に開かれた市村同席の理事会で承認を得て、「市村遺児育英会」の設立が決定。支給対象は、グループ企業に在任中に死亡した役員および従業員の遺児(高校卒業まで)とされました。
5月22日、第1回市村遺児育英会贈呈式が行われ、3人の遺児に育英資金が支給されました。小中学生に月額2,000円、高校生に月額3,000円という金額は、当時の大卒初任給の15〜20%に当たります。
1964(昭和39)年、制度の恒久化を理由に市村の自費から三愛会会員企業の運営に切り替えられ、規定も改定とともに詳細が整備されて形が整いました。
そして、1996(平成8)年、「市村育英会」と改称し、障がい児、障がいを持つ社員の子供も対象に加えられたのです。
発足から50余年間で、対象者は述べ7,600人、総額7億円に及びました。
(2018年、愛の手募金活動と一本化し、廃止)
「育英会」というと「あしなが育英会」を思い浮かべる人も少なくないと思いますが、あしなが育英会の設立は1993年のこと、それより30年も前に1企業として遺児たちの支援組織を立ち上げたのは、市村の従業員に対する深い愛情と、「働くことに何の心配もつきまとわない、世界のどこにも類例のない独特の市村産業団をつくりたい」という願いを表したものに他なりません。