会誌
すくらっぷ帖
Past feature articles

三愛会の機関誌として1954年に創刊した三愛会会誌。創業者・市村清の思想をはじめ、会員会社の動向や社員同士のコミュニケーションツールとして発行されてきました。
「会誌すくらっぷ帖」では、今までに会誌に掲載した記事の中で、特に人気の高かったものや、発行時の時代を反映した興味深い記事を厳選して紹介していきます。
三愛会会誌63号(1970年発行)
いよいよ4月13日から“EXPO2025大阪・関西万博”が始まります。
日本で開催された国際博覧会は1970年の大阪万博が初めてで、今回の大阪・関西万博で6回目となります。
70年の大阪万博にはリコーも出展していますが、参加を決めた市村清自らが第1号の申し込みを行いました。同年発行された三愛会誌63号では『特集:万博リコー館』として当時の万博の様子がいろいろ紹介されています。今回はその中から、経団連会長で大阪万博の協会会長でもあった石坂泰三会長と市村亡きあと三愛会会長に就任した舘林三喜男会長による対談を紹介いたします。


アジア初の万博ということで注目された大阪万博には、ボクが参加を決めたんだ。社員の士気も上げたかったから、いの一番に申し込むことにした。だって、「万博にも出展できない会社なんて魅力がないじゃないか!」。残念ながらボクは最後まで見届けられなかったけど、リコー館は人類の眼を表す“天の眼”、“地の眼”、“心の眼”の3つの眼で構成された『理光―よりよき人類の眼―』のテーマで開催されたんだ。もちろん、その様子は空の上からちゃんと見ていたよ!








万国博覧会会長だった石坂泰三さんはボクがもっとも信頼している友の一人であり恩人なんだ。ボクの亡きあとリコー三愛グループの相談役も引き受けてくれた。そしてボクの遺志を継いで三愛会の会長に就任してくれた舘林くんと、二人による『万国博開幕を迎えて』とする対談の様子を紹介するね。

ボクが万博に賭けた夢とその実現のために万博の価値などについて語ってくれているよ。皆の反対を押し切って参加を決めたけど、結果としてリコー三愛グループの名声が上がり意味のあるものだった。



リコー館は巨大なバルーンが特徴なんだけど、このバルーンを“天の眼”、円筒形の建物の壁面を“地の眼”、建物の内部を“心の眼”として近代科学の粋を集めたものにしたんだ。見た目も内容も皆の目を引くものだったんだけど、このアイデアはボクが出したものなんだよ!ボクの“最後の傑作”だなんて言ってくれて嬉しいな。
1970年3月から9月までの期間、「人類の進歩と調和」をテーマに開催された日本万国博覧会(大阪万博)は、77カ国の参加のもと6400万人を超える入場者により好評のうちに幕を閉じました。
大阪万博のシンボルといえば、岡本太郎氏による“太陽の塔”は今でも芸術作品として有名です。
来月はリコー館の建設にまつわるお話を紹介したいと思います。お楽しみに!

会誌の冒頭にはカラー写真「光の芸術リコー館」としてリコー館の全貌が紹介されています。後日談として、表紙に使われたリコー館の“天の眼”の瞳は鏡になっているためよく見ると撮影してくれたリコーの横山義隆さんが映ってるんだって。形がシンプルなだけに全貌を写真に収めるのが物凄く難しかったそうだよ。