会誌
すくらっぷ帖
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三愛会の機関誌として1954年に創刊した三愛会会誌。創業者・市村清の思想をはじめ、会員会社の動向や社員同士のコミュニケーションツールとして発行されてきました。
「会誌すくらっぷ帖」では、今までに会誌に掲載した記事の中で、特に人気の高かったものや、発行時の時代を反映した興味深い記事を厳選して紹介していきます。
三愛会会誌3号(1947年発行)
三愛会は本年4月に創立80周年を迎えますが、それに先立ちリコーは2月に創立90周年という大きな節目を迎えました。
1933年に市村清が理化学研究所の大河内所長から招へいを受け、理化学興業株式会社の感光紙部長に就任してから3年後、36年にそれまでの感光紙部を分離して「理研感光紙株式会社」が設立され、市村は代表取締役専務に就任。これがリコーの始まりでした。その後、38年に理研光学工業㈱に社名変更しましたが、この時はまだ三愛会やその前身となる自蹊会は設立されていませんでした(44年に自蹊会設立、46年に三愛会に改称)。47年に発行された『三愛』(のちの三愛会会誌)第3号では、理研光学と東洋特専、旭無線の3社合同の創立10周年記念式典と記念大運動会が実施された記事が掲載されていますので、リコー創立90周年を記念して紹介いたします。
『三愛』第3号が発行された1947年当時はまだ紙が貴重な時代。前身は戦前に発行された『自蹊会会報』(86年に『三愛会会誌』に改称)だよ。 粗末なA5判・16ページの冊子だったんだけど、ボクは各社・各社員との連絡や親睦には会報の発刊が欠かせないと思ったんだ。 言頭巻でボクは社員に「常に真実を見よ」として、真実を見抜く力を養えば信頼と団結が生まれる、と説いているんだ。
46年に理研光学工業に加えて、東洋特専興業、旭無線が創立10周年を迎えたことで、翌47年5月25日に3社合同の創立10周年記念式典が豊島園で挙行されたんだ。東京近郊にある各社の従業員一同と全国の支店や工場の代表者、そのご家族を合わせて1500人ほどが参列したんだ。式典では永年勤続表彰も行って、そのあとに記念運動会を実施する予定だったんだけど、表彰式の途中から雨が降ってきて運動会は6月1日に延期になったんだ。この日も総勢1500人が参加して、綱引きやリレー、親子競走や樽回しなど全部で32種目の競技を行ったんだ。ボクも嫁取り競争に参加したんだけど、皆から満場の喝采を受けて、とても有意義な一日だったよ。運動会の最後には“三愛会万歳”を三唱して散会。参加してくれたみんなも常に笑顔で、日々の疲れを癒して親睦を深める機会になったとしたら嬉しいな。