会誌
すくらっぷ帖
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三愛会の機関誌として1954年に創刊した三愛会会誌。創業者・市村清の思想をはじめ、会員会社の動向や社員同士のコミュニケーションツールとして発行されてきました。
「会誌すくらっぷ帖」では、今までに会誌に掲載した記事の中で、特に人気の高かったものや、発行時の時代を反映した興味深い記事を厳選して紹介していきます。
三愛会会誌63号(1970年発行)
待ちに待った“大阪・関西万博”が開幕しました。この万博に行かれる予定だという方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回も、前回に引き続き1970年に開催された大阪万博に出展した「リコー館」について、市村の構想をどのようにして具現化していったのか、またリコー館の特徴はどのようなものだったかをご紹介したいと思います。
63号PDF版(抜粋)を閲覧する(PDF 26.3 MB)

リコーが申し込み第1号だった話は前回したと思うけど、申し込み第1号を狙っていた企業は他にもたくさんいて、緊張した抽選会場ではどこが第1号になるのか、新聞でも取り上げられたんだよ。“第1号”には、入場者の流れの多い個所とか有利な場所を確保出来るかどうかが決まる重大な意味があったんだ。それを運よく引き当てたボクってすごいだろ~!



リコーの大阪万博出展は日本のみならず世界にリコーをPRする格好の機会になったってわけだ。リコー館の実現には、三愛ドリームセンターの設計者である日建設計の林昌二君の協力が絶対だって、申し込みをする時から決めてたんだ。あとはリコーの常務で開発本部長だった山本巌君と、3人タッグでの構想づくりが始まったわけだけど、“万国博らしい雄大な構想を、独自の技術で実現する”というのが約束事だったんだ。

10月には万博委員会も発足して、“建築構造はイニシャルコストとランニングコスト比の低い未来的なもので、効果装置としては各種の光学や科学的装置を使用する”という方針のもと、さらに大勢の観客には外観で鮮烈な印象を与え、内部は観客の行動がさまざまに反映されるものにして、同じパターンが現れないようにしたんだ。



リコー館は、リコーの強みでもある“光”の技術を駆使して感覚的に分かりやすく説明するため、フロート・ビジョン「天の眼」、スペース・ビジョン「地の眼」、イントロ・ビジョン「心の眼」の3つをテーマに展開することにしたんだよ。

「天の眼」は、半透明のプラスチック膜で造られた大気球で、地上75メートルまで浮上させることができて、中にヘリウムを充填して浮力を得る構造なんだ。天気や気温による気圧変化や風の影響に左右されないために、地下には補助気球が設置され、それが膨らんだり凹んだりしてバランスを保っているんだって。気球の中には大きな光源装置が設置されていて、リコーの技術を駆使してさまざまな光彩を放つ仕組みを考案して取り入れているんだ。



「地の眼」は、建物の壁面に明るい昼間でもきれいにはっきり見えるディスプレイを設置して、その周りに配置された104台のプロジェクターからあらゆる映像が投影される仕組みだったんだ。プロジェクターの後ろに動く歩道が設けられていて、観客がそこを通った時にしか見られない映像や音を聞くことができるようになっていたんだ。

「心の眼」は、地の眼が設置されている円筒形の建物の内部の壁面を全て暗色にして、周辺に設置された投光装置から照らされる照明によって、観客は瞑想的で途方もない空間にいるかのように錯覚させられたんだ。そこに使われた効果的な音響システムは、シンクロファクスを生み出したリコーの技術を駆使して開発されたものだったんだよ。

『リコー館』の構想を実現するにあたって、リコーを中心とするプロジェクトグループが結成され多くの技術開発が行なわれました。というと、70年の万博だけを目的に開発がなされたように思われるかもしれません。しかし実際はそうではなく、他の商品開発のために行なわれていた研究開発とたまたま目的が一致した場合が多かったのです。従って、リコー館のために開発された革新的な技術は後のリコーの商品にも応用されました。
無理を押して万博に出展したことで得た成果には、さすが先見の明・市村と呼ばれるにふさわしいと感じます。