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三愛新書「市村清著書」
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市村清実践哲学(新装版)
2016年12月発行
本書は1969年12月、市村清一周忌にあたり、リコー三愛グループの機関誌『San-ai』(現
三愛会会誌)特集号として発行されたもので、市村が書き遺し、語り遺した数々の言葉の中から、特にグループ社員にとって人生の指針となるものを選んで編まれました。
このたび、三愛会は2016年4月4日に創立70周年を迎え、その節目を記念して、冒頭に三愛会会長・近藤史朗による「市村清実践哲学 新装版発行に寄せて」を新たに掲載し、市村の命日にあたる12月16日に新装版として刊行することにいたしました。
(近藤史朗による「市村清実践哲学 新装版発行に寄せて」全文はこちら)
市村が生涯貫き通した事業家としての姿勢とは、どのようなものだったのでしょうか。
<どうすれば世の中の人がお互いに幸福になれるか、どの道をとればお互いに豊かな生活ができるか。事業の内部外部を問わず、私は事業経営によってこの大命題を追求したい。単なる利益追求ではなくて、その底にヒューマニズムの流れる事業家たることを信条としているのである。またその信条こそが、真に事業を繁栄させる根本だと断言してはばからないのである。>
本書は全部で7章に分けてまとめられており、人はどう生きるべきか、企業人はどうあるべきかを示唆するものに富んでいます。人生の岐路に立たされたとき、仕事に行き詰まって悩んでいるときなど、さまざまな場面において、前に進む力を与えてくれるに違いありません。
【コンテンツ】
第1章「市村清の人間形成」 第2章「市村清の販売法」 第3章「市村清の人使い」 第4章「市村清の発想法」 第5章「市村清の人生観」 第6章「市村清の処世法」 第7章「市村清の経営理念」
本書は1969(昭和44)年、創業者・市村清の一周忌を偲び、その全生涯の記録をまとめた伝記として、市村が逝去した12月16日に出版された。
著者の尾崎芳雄氏(当時、日本経済新聞記者)は、1962(昭和37)年2月から日本経済新聞に掲載された「私の履歴書」において、事故でペンをとるのが億劫になっていた市村に代わり、述べ十数時間にわたる聞き込みから原稿にまとめた人物である。
―佐賀県の貧農の子から身を起こし、激動の昭和産業史に異色の実業家として光芒を放った市村が、端倪すべからざる経営の才腕と天賦の識見を備えていたことを否定するものはないであろう。しかし彼の何物にも屈せず闘い抜く強固な意志と、たゆまぬ地と汗の努力を支えていた人間的なシンは、むしろあの激しい感情の持ち主だったことにあったのではないだろうか。
いわばそれは強烈な自我愛の発露であり、それが他へ拡張されたとき、後年の市村が標榜した「人を愛し国を愛し勤めを愛す」という三愛精神の処世哲学に結実したとも見られるのである。―
本書には、昭和の産業史上に不滅の足跡を刻みつけた独創の企業家・市村の“激情の人”の姿が、あますところなく描かれている。
市村清を慕う若い財界人や文化人たちが集う会を、世間では“市村学校”と呼んでいました。本書は、この“市村学校”における放談(講義)の記録をまとめたもので、市村によれば、経営学の理論の書でなく体験と実験の書であり、血と汗の結晶の所産です。従って、理論的に体系づけられた経営学と違って、日常の仕事にそっくり応用できることが極めて多く、当時のビジネスマンたちにとって最良の手引書であったと言えましょう。
市村はまえがきにおいて、次のように述べています。
<要するに私が言いたいことは、儲“け”るには限界があるが、儲”か”るのは無限大だということだ。儲“け”るのではなく、どうか大いに儲“か”って人生の勝利者になっていただきたい!
では、儲かるにはどうすればよいか? その秘訣(?)を本書において述べつくしたつもりだ。>
講義内容は、「志さえあれば道は開けるということ」「人生の勝負は紙一重で決まるということ」「指導者は常に人材を探し求めているということ」「欠点をなおすより長所を伸ばしたほうがよいということ」「勝負に臨むまでが勝負だということ」など15のテーマにまとめられ、働くとは何か、生きるとは何かについての具体的なヒントにあふれています。
<自分だけ良ければ他人はどうだっていいというような狭い根性では、人は絶対に人生の勝利者となることはできない。儲けようとしなくても、自然と儲かるようにすることだ。利己ではなく、利他なのだ。この事業でひと儲けしようなんてケチな了見は捨てて、たくさんの人のためになるよう努力していこうではないか“け”とならず、“か”となっていただきたい。永遠の繁栄の秘訣はここにある。>
市村が全編を通して伝えようとした「“か”と“け”の違い」の意味がすとんと胸に落ちたとき、仕事に対する新たな希望と自信が湧いてくるのではないでしょうか。
市村は、後年、「市村さんの成功の秘訣は?」と聞かれることがしばしばありました。そのたびに、秘訣なんて何もない、と返答に困った市村でしたが、強いて?…と言われれば、何だろうと考えてみました。
市村の前半生は、祖父が進学の元手にと買ってくれた雌の子牛を税金のカタに持って行かれた悲しい少年期に始まり、“家柄も、健康も、学歴も、何一つ有利な条件を備えていなかった”青春時代へと続きました。
そんな中で、どうして生きていったらよいかと悩んだ市村は、ある決心をしました。“名も地位も何も求めず、しかし、人間として立派に生き抜いていこう”。つまり、“人の逆を行く”スタートを切ったのです。
<爾来、幾星霜……。この間には、いろいろなことがあった。晴れの日ばかりではなかった。いや、風の日や雨の日の方が多かった。猛吹雪に遭って、一寸先が見えないようなときもあった。しかし、ヘコたれずに今日を得ることができた。>
<世の中は複雑で奥行きが深い。人生、何が幸せするか分からない。一見、不幸と見えることが、必ずしも不幸ではないのだ。今日の私に成功と呼ぶものがあったら、それは、人の逆の道を歩んできたからだと思う。>
「人の行く 裏に道あり 花の山」は市村の座右の銘ですが、人の逆を行く道に徹すれば必ず道は開けると信じて歩き続けたときに、道は自然に開けてきたというのです。
本書は、市村の歩んだ人生遍歴の記録であり、体当たりで書いた体験の書です。明日に向かってどの道を行くか、選ぶ道は一つではないことを教えてくれます。
本書は、日本経済新聞の『私の履歴書』が好評で、全国各地の読者からもっと詳しく知りたいという手紙が続々と寄せられたため、新聞紙上に掲載の際漏れた分、また紙数の制限で要点だけにとどまった分などを書き加えて出版されたものです。
いかなる逆境にもひるまず、正しいと判断したことに捨て身で当たり、難関を突破するのに工夫を凝らし、自分自身のためではなく人のため国のためと誠心誠意歩んだ姿は、多くの人々を引きつけました。
市村は、序において、故郷・佐賀県三養基郡の蓮沼の風景とそれにつながる子供の頃の悲しい記憶をつづっていますが、後年、10社を超える会社のトップの地位に至ってもなお、脳裏に浮かぶのは貧農の家の子として生まれ育った、つらい幼少期のことでした。
青年期に長じても、貧しい環境は続き、ろくに学校にも行けず、指導者にも恵まれず、健康も常人以下で、30代の半ばまでは、身を砕き、骨を削り、文字通りのどん底生活でした。
こうした苦難の日々や数々のエピソードは、読む人の心を締めつけるでしょう。しかし市村は、希望され失わなければ光は全く消えてしまうものではないと信じて、闇とも思えるあまたの困難の中を突き進んできました。
<人の一生には思うように行かぬことが多々ある。そんな時は心が闇に閉ざされて、暗くなるものである。若ければ若いほど、懐疑的になり、また絶望に似た気持ちに追いやられるものだ。しかしそんな時こそ卑屈にならず、消極的にならず、独立自尊の旗を高々と掲げて突進し、乗り越え、不動の信念をもって直面していくことである。その固い意志が尊い人生の光であり、その光こそ困難の闇をつらぬいていくものと信じる。>
事業家としての考え方や信条をまとめた『そのものを狙うな』を出版するにあたり、自らの人生を顧みるという思いでつづった本書には、先に出版した『光は闇をつらぬいて』に新たな体験が加えられ、感銘深いエピソードにあふれています。
市村自身、『そのものを狙うな』が自分の考え方を表した横糸とすれば、本書は生きて来た道程をつらぬく縦糸であると述べており、両書を併せ読むことによって市村の人間像に迫ることができます。
<いまだにこれだと指摘できる人生観は悟り得ていない。だが、私の歩んできた事実は、その何物かを雄弁に語ってくれるであろう。自分の人生を通じて到達した一つの信念は、人生を生き抜こうとする闘魂が燃えている限り、その人間の行く道をさえぎる何物もない。私の体験記に一貫して流れる真理があるとすれば、それはどんな逆境にあっても、光を見失わず、闘魂ひとすじに闇の壁を破ってきたということに尽きるだろう。>
本書を執筆したとき、市村は満64歳を迎えようとしていましたが、「この一巻の回想記は、人生の途上半ばにして道端に打ち立てた一本の里程標に過ぎない。自分にはまだ未来がある。人生とは何かの奥義を究めるには、まだまだ深く考え、行い、そして迷うこともあるであろう」と述べています。
<私はまだ、自分の中に枯れきった人間の姿を望見しようとは思わない。矛盾に満ちた現実と戦い、理想を実現しようという情熱は盛んである。そして残された半生を、立派に、無駄なく、世のために役立つように過ごしたいと強く念願しているのである。>
人生80年時代の今こそ、市村の人生哲学に学ぶべきことが多いのではないでしょうか。
市村が人生において常に掲げていた命題は、自分自身をも含めて「人間とは何か」ということでした。この命題は、政治にも、芸術にも、学問にも、人間の生み出すあらゆるものに通ずる根本的な問題であり、むろん事業経営をやろうとする者にとっても必須条件でした。
なぜ市村は、「人間の本質」を人生の命題としたのでしょうか。
貧農の子として生まれ、常に貧困と闘っていた幼少期、青年期、さらには、独立してからも続いた並々ならぬ苦しみと闘いの中から生じた「人間不信」の感情が、その後の大衆の幸福を図ろうという気持ちに至らせました。
市村が自らに課したことは、まず、何事に対しても安易な道を選ばず、苦難の坂道をよじ上っていくということ、もう一つは、欲を捨てるということでした。人が進む道を誤るのは、小さな我欲にとらわれるからで、欲を捨てて物事を見るとき、初めて物事の本質が見えてくると考えたのです。
事業経営の方策にしても、目前の小さな営利だけを対象としたり、自分だけが幸せになろうとする安易さをむさぼるようなことであってはならない。目的はもっと深く大きくあるべきである、と考えていました。これが『そのものを狙うな』と題したゆえんでもあります。
「父の教訓」「人間統御法・六つの事例」「仕事への愛と誠実」「アイデアはアイデアを生む」「労使を結ぶものは何か」「未来に賭ける競争」「苦の娑婆を楽しく生きる」など13章にわたって展開される市村の人間的経営は、なぜ社員をつかむことができるのか、なぜ販売が成功するのか、従って、なぜ事業が発展するのかといったことが、豊富な体験から実例をもって示され、同時に、事業の本来の目的は何かということを示唆してくれます。
アイデアマンと言われた市村が手掛けた数々の事業は、いずれも新しい着想と、明日に伸びる資質に富んでいるという確信に基づいて着手したものばかりですが、そのアイデアはすべて自分の体験に根差したものでした。根拠のない雲をつかむような工夫だけでは、事業として結実させることはできない。地に足の着いた発想とは、すべて体験と実験、不断の努力から生じるものであり、それを具体化することに勇敢に挑んできたと市村は断言しています。
こうした観点から折に触れてつかんだ明日への向上のヒントが『実業の日本』誌上に1年間連載され、大変好評を得ました。それらを基にして、一冊にまとめたのが本書です。
「今日を追うな!」「みんなで手を組んでいく時代」「一番判断に迷ったこと」「人に仕事を任せる法」「金の欲と仕事の欲」「新製品を決めるとき」「アイデアはこうして生まれる」「人の欲しがるものは、欲しがるな!」など、24項目にわたる具体例は、その優れた着想の舞台裏を明らかにするとともに、企業の未来を担う人たちの指針ともなりました。
「みんなで手を組んでいく時代」の項で表された、高野精密工業(現 リコーエレメックス)の再建にまつわるエピソードは、特に市村の人柄がにじみ出ており、経営者と従業員の関係はどうあるべきかを考えさせられます。
<言うまでもなく、アイデアの生まれる根本は、まず現状を否定することである。これでいいと思ったら、何も出てこない。その次には、何を見ても「なぜ」という疑問を持ち、疑問を持ったら、必ずそれを追究する。疑問を持っても、そのままにすれば、何も生まれてこない。疑問を持ったら、分かるまで追究することである。>
これこそが今の時代に求められる企業人としての資質ではないでしょうか。
本書は、2008年12月、市村清没後40年にあたり、市村の数多い講演録の中から、未発表のものを集めて構成されたものです。
日本経済新聞の『私の履歴書』に市村清が連載されたことから、市村の名は一躍全国的に知られることとなり、新聞・雑誌・テレビ・ラジオにしばしば登場するようになるとともに、講演の依頼も次々と舞い込みました。
特に講演が集中した1962~63年は、『日米飲料』(現 コカ・コーラウエスト)の設立、『高野精密工業』(現 リコーエレメックス)の再建、『ホテル三愛』(現
札幌パークホテル)の設立や銀座4丁目の『三愛ドリームセンター』の建設などが進められており、講演の内容もこれらに関わるものが多くなっています。
「経営の近代化について」「中小企業経営の諸問題」「精密工業に夢を抱いて」「市村式実践経営」「困難な道から入る」「人生は真っ向勝負」「私の創業時代」と題された講演内容は、いずれも当時の市村の事業に対する思いをうかがい知ることができ大変興味深いです。
特に市村が言及したのは「人」です。「人の見方、人の動かし方、人の価値判断など、人に関する問題が、結局すべてを決する」という指摘は、今も事業経営の大命題の一つであると言えましょう。
<人の使い方にしても、販売にしても、企画にしても、物作りにしても、これからいよいよ世界を相手にやらなければならない時期ですから、考えを新たにし、新しい観点に立ってやれば、必ず、欧米のまねでなくて、日本は日本独特のいろいろな生き方があるのです。このことを私も身をもって示していきたいと思っています。>
還暦を超えてなお、日本の事業家としての矜持を持ち、新しい観点に立って世界に向かって行こうとしていた姿勢と情熱に、誰もが心を動かされるのではないでしょうか。
講演録バックナンバー(No1~No81)のお知らせ
三愛新書「人間と文化」シリーズは、2015年12月1日発行の第81集をもって、休刊とさせていただきます。永らくご愛読いただき、ありがとうございました。