東京・有楽町、あの有名な日本一の宝くじ売り場があるショッピングセンターが「西銀座デパート」です。
東京は1955(昭和30)年頃には、戦後の復興によって近代都市に変貌、中でも高速道路と地下鉄網の建設は目を見張るものがあり、西銀座の名所であった数寄屋橋の堀も高速道路の建設ために埋め立てられ、道路下は事務所や商店街にと姿を変えていきました。
数寄屋橋付近の道路下の商店街計画は3区域に分かれて進められており、真ん中の銀座ショッピングセンター内に出店を予定していた「三愛」の経営者・市村も、建設対策委員会のメンバーに名を連ねていました。
ところが、ショッピングセンターの工事は思うようにはかどらず支障が続出、資金繰りにも行き詰まって、運営は暗礁に乗り上げたのです。
その打開策として白羽の矢が立ったのが市村でした。市村の人脈を利用して、銀行団から融資を引き出そうというわけです。銀座のためならと承諾したものの、融資の交渉は難航をきわめ、銀行団の協調融資が成立したのはその年の大晦日でした。
市村を初代社長として新たにスタートした「西銀座デパート」は有楽町の新名所となり、「三愛」はおしゃれな女性たちでにぎわいました。