1961(昭和36)年11月、米国マイアミ市ワトソン公園において市村が寄贈した「市村マイアミ庭園(イチムラ・ガーデン)」の贈呈式が挙行され、席上、市村はケネディ大統領からの祝電を受け取りました。
寄贈のきっかけは1957(昭和32)年2月の訪米旅行でした。アメリカで開かれたカメラショーに出席した市村は、帰途、アメリカ屈指の常夏のリゾート地・マイアミに立ち寄り、数日を過ごしました。
ある日、宿泊先のホテルの窓からビーチの素晴らしい景観を眺めていた市村は、一区画だけ荒れ果てた野原が広がっている場所があることに気づきました。
“あの辺一帯に日本の桜の木を植えたら、さぞ美しいだろな。僕が贈ろうかな”
この思いつきをマイアミ市出身の議員に話すと、間もなくマイアミ市長からお申し出を喜んでお受けしたいという返事があり、話はとんとん拍子に進みました。
翌年、市村は「桜の寄贈目録」を携えて再渡米し、ワシントンの国会議事堂での寄贈式に臨みました。しかし、その後、桜は検疫の関係で輸入禁止であることが判明したため、「オーキッド」(中国産のランの一種)に変更されましたが、300本のオーキッドが植えられた道は「市村ロード」と呼ばれ、その東洋情緒漂う風景が人気を集めました。
気を良くした市村は、さらに石灯籠や布袋像などを寄贈、また、日本から大工や庭師を派遣して、日本庭園の造成にも当たらせたのです。
そうして4年を経て完成したのが、四阿(あずまや)や茶室(「三愛庵」)、築山などが配置された本格的な日本式庭園で、マイアミ市民をはじめ多くの人たちの憩いの場となりました。
「日米親善のために一役買いたい」という市村の思いが見事結実したといえましょう。
なお、この功績によって、市村はマイアミ市から名誉市民の称号を贈られ、さらにノーベル平和賞のアメリカ版ともいえる「ワシントン・カーバー賞」を受賞しました。
(2004年、マイアミ市ワトソン島に移設、市営庭園「市村園」として再開)