1958(昭和33)年4月29日、佐賀県三養基郡北茂安町立小学校において、市村が寄贈した講堂の落成式が盛大に挙行され、市村夫妻に対し地元の人たちから感謝の気持ちがこもった万雷の拍手と歓声が送られました。
さかのぼること51年前の1907(明治40)年、市村は北茂安小学校に入学しました。6年間を通して成績は抜群で、学業以外でもガキ大将格でしたが、家が貧しかったため、つらいことも多い少年時代でした。彼の人生の前半は、そこから脱却するための戦いであったともいえるのです。
しかし、市村にとって北茂安は、苦難に満ちていたとはいえ自分を育んでくれた大切なふるさとです。年がたつにつれ苦しかった思い出は薄れていき、ふるさとを思うときは山や川、平野に広がる田畑など、懐かしい風景ばかりがよみがえってきました。
50代半ばを迎えた頃、ふるさとに何か恩返しをしたいという気持ちが湧き上がってきました。
「来年の祖父の50回忌に、村に何か記念になるものを寄付させてもらいたい。なるべく若い人たちのためになるものがいいと思いますが・・」
この申し出に村民たちは大喜びで、早速村の有力者たちが集まって相談した結果、決まったのが“市村講堂”の建設でした。
「・・・鉄骨建築というのを、僕は生まれて初めて見ました。ニョコニョコと空につき出ていたその鉄の丈夫な柱は、火事にも地震にもビクともしないぞと叫んでいるようでした。村中どこからも見えるカマボコ型の丸い屋根は、僕たちがどこにいてもがんばれがんばれと叫びつづけているようにみえます。・・・市村先生、本当にありがとうございました」
市村は児童代表の感謝の言葉に心を打たれ、あふれる涙を抑えることができませんでした。少年時代のつらさや苦しさもこの時の涙とともに洗い流されたかもしれません。