今月の市村清
Monthly
“今月の市村清”―2024年11月編―
藍綬褒章を受章
~カメラの大衆化に貢献~
日毎に秋も深まり、紅葉の美しい季節となりました。毎年11月は各界の功労者に対し勲等を授ける秋の叙勲・褒章の発表があります。市村清も1961年(昭和35年)に発明品の普及化に尽くした功労が認められ藍綬褒章を受章しました。このとき大勢の受章者を代表して天皇陛下の前に参上し市村は陛下にお礼の言葉を述べたのでした。
事業の多角化を図るため市村が光学事業に進出したのは1937年のことでした。オリンピックカメラ製作所(株)と旭物産合資会社を買収して旭光学工業(株)※1を設立。カメラの製造・販売は好機に恵まれ順調な滑り出しでしたが、戦局が激化するなかカメラは贅沢品として製造禁止品目に指定され旭光学工業は通信機の無線の部品などを製造し露命をつなぎ、やがて終戦を迎えました。同社は1950年に旭精密工業(株)※2と社名を改めカメラメーカーとして復帰し、1950年にリコーフレックスⅢ型を発売し大ブームを起こしました。日本人にとってカメラは欲しいものの代表格でありながら、なかなか手が届かない高級品でドイツ製のローライフレックスに代表される高級二眼レフカメラは高卒新入社員の初任給が8,000円前後というときに定価は十数万円もし、国産機でも数万円しました。そうしたなかリコーフレックスは独創的な設計によりムダを省き7,300円という低価格で販売したちまちカメラブームを引き起こすほどの人気を獲得しました。低価格でありながら性能はずば抜けており、この大ヒットはカメラ業界の伝説的な話として語り継がれることとなりました。リコーフレックスⅢ型はカメラの大衆化を牽引し、カメラブームを起こし国内景気を後押ししました。
その後も35mmのフィルム使用のカメラの開発に着手しリコレットと名付けた35mmレンズシャッターカメラを1953年に発売。そして世界最小の自動化カメラという目標で開発したリコーオートハーフは女性のハンドバックに入る大きさで、カメラは男性にしか扱えない難しい機械という印象を払拭し女性でも気軽に写せることが人気を博しリコーはカメラメーカーとして盤石な地位を築きました。
リコーフレックスⅢ型の開発では「できない理由を考える前にできる理由を考えてくれ」という市村の名言が残っています。この言葉を聞き奮起した設計者・開発者の努力が結実し世の中をいっぺんに変えました。多くの事業を興し、また事業再建を手掛けてきた市村でしたが、61歳にしてこの功績が認められたことは栄誉であり誇り高いことであり従業員全員と喜びを分かち合ったことでしょう。
※1:現在存在している会社とは別の会社
※2:1953年 理研光学工業(株)に吸収