市村幸恵は1898(明治31)年1月29日、松岡玄雄(はるお)の3女(末娘)として佐賀県に生まれました。
松岡玄雄は佐賀県伊万里市波多津村出身。父親が貧しい眼科医だったため、苦学して福岡医科大学を卒業後、中学教師、警察医などを経て、大正初期に中国・上海に渡り、内科病院を開業しました。温和な人柄と確かな医術で、中国の人たちからも深い信頼を得ていたといわれます。
幸恵は佐賀県立唐津高等女学校を卒業後、上海で両親と暮らしていました。
1923(大正12)年、市村は日中合弁銀行の大東銀行・上海分行に支配人として赴任、銀行の2階に寝泊まりして、新規顧客の開拓や情報収集に奔走し、大きな成果を上げていました。しばしば視察に訪れていた共栄貯金銀行の小出熊吉頭取は、そんな市村の行動力や才能にほれ込み、自ら嫁探しまで買って出て、白羽の矢を立てたのが幸恵でした。小出は松岡病院を訪ね、幸恵の父・松岡に頭を下げました。
ところが、当時、幸恵にはある財閥系の会社員との縁談が進んでいました。一方、市村は数年前に罹患した結核のことが気になっていましたし、幸恵の家と自分の実家との不釣り合いも考えて、結婚そのものに消極的でした。
なかなか話が進まない中、小出から協力を求められた北京大学の山口四郎は毎日のように松岡病院と大東銀行を行き来して、双方の説得に努めました。何日かが過ぎ、最初に心が動いたのは松岡でした。小出たちの熱心な話を聞き、市村にも直接会って、この男なら娘を任せられると思うようになっていったのです。
「市村さん、幸恵を嫁にもらってくれませんか」
「私は肺を病んだことがあります。とても娘さんをいただくことはできません」
「あなたの胸は完全に治っていますよ。娘を嫁がせたいために言っているのではありません。医者として保証するのです」
この一言で市村の気持ちが変わりました。また、幸恵も市村の誠実で真剣な態度に触れ、次第に好意を抱くようになっていきました。後に、市村の第一印象を問われると、“ユーモアがあって、頭の回転の早い人”と答えています。
1925年1月26日、二人は上海一の式場で結婚式を挙げました。この時、市村24歳、幸恵25歳、まさに“金のわらじを履いてでも探す1歳年上の女房”でした。
新婚生活が始まって、最初に幸恵が戸惑ったのは市村のせっかちな性格でした。ご飯のお代わりすら待てないほどなので、「お代わり」と言われたらすぐに出せるように、別の茶碗にご飯をよそっておきました。時間がもったいないと言って朝ご飯を食べながら新聞を読むのは許すとしても、晩ご飯を食べながらの読書にはさすがに悲しい気持ちになりました。
それでも幸恵は、市村の大きな愛を感じて、とても幸せでした。
しかし、上海での生活は長くは続きませんでした。
1927年、大東銀行閉鎖。市村は失職し、二人は無念の帰国となったのです。
まもなく市村は保険外交員の仕事に就くことを決断しますが、松岡から大反対されます。
「そんなに反対でしたら幸恵を引き取っていただいて結構です。幸い、まだ子供もいませんから」
幸恵は両親と向き合う市村の真剣な顔を見て、夫について行く覚悟を決めました。市村が並々ならぬ仕事への意欲と実践力を備えていることを信じてもいました。
市村が単身、富国徴兵保険熊本支部に赴任してから2週間ほどたった頃、幸恵がトランク1つ下げてやってきました。
「よく来てくれたね。まだ契約は1本も取れんのだ。しかし、僕は君の親元から一銭の援助も受けたくない。それでもいいのか」
「もちろんです。こうして出て来た以上、私にも意地があります」
それからひと月半、年の瀬も押し迫って来ましたが、契約はまだ1本も取れません。12月23日夜、市村は精も根も尽き果てた様子で帰宅しました。
「僕はもう疲れたよ。人間一心になれば何でもできないことはないと信じていたが、やはりできないことがあるんだなあ。もう、東京へ逃げよう。東京なら何とかなるだろう」
「あなたの行く所ならどこへでもついて行きます。でも、一口も契約が取れないで、悔しくないんですか。このままだと、あなたの履歴に汚点が付きますよ」
「・・・・・・・」
「夜逃げするにも勇気がいります。その勇気をふりしぼって、せめて大晦日まで頑張ってはいかがですか」
「お前の言う通りだ。よし、あと8日間踏ん張ってみよう」
幸恵の言葉に奮起した市村は、翌朝、いつものように自転車を漕ぎ、竹崎八十雄の家に向かいました。竹崎家を訪ねるのは9度目です。
「やあ、来ましたね。今度あなたが来たら契約しようと待っていたんですよ」
市村が熊本に来てから69日目、初めての契約が成立しました。幸恵はその日のことをいつまでも忘れることができませんでした。
その後、市村は次々と契約を成立させ、契約高全国一も達成。その手腕を見込まれて、富国徴兵保険佐賀支社の監督に抜てきされ、夫婦は熊本を離れることになりました。
新婚のふたり(1925年)
テレビ番組「夫と妻の記録」出演 (1961年)