今月の市村清
Monthly
“今月の市村清”―2021年11月編―
『夫婦の絆』
—11月22日の“良い夫婦の日”によせて—
11月22日は“良い夫婦の日”です。
市村清・幸恵夫妻は社員の間でも“おしどり夫婦”として有名でした。夫婦共通の趣味だった『能』では、幸恵が舞い清が謡う舞台姿を社員に披露することもありました。
では、清は幸恵を、幸恵は清をどのように思っていたのでしょうか。
ふたりは1925年に上海で結婚しましたが、新婚早々、清は勤めていた大東銀行上海分行から北京支店にいっとき出向くことになり、しばらく離れて暮らしていた時がありました。その間、清は毎日幸恵に手紙を送っていたといいます。その後も清が出張したり外国に行くたび、行った先々から幸恵に宛てて手紙を出しており、その数は相当数になっていました。
後々読み返すのも恥ずかしくなるような内容から、流産してしまった幸恵を慰めるようなものまで、涙なしでは読めない手紙もあったそうです。
また、清はちょっと暇が出来ると幸恵を誘って好きな映画を一緒に見に行ったり、欧米事情視察と称して幸恵を伴い50日間にわたり世界一周旅行に赴くなど、清の傍らには常に幸恵がいて仲睦まじいものでした。
清は結婚当初から幸恵に対して絶大な信頼を置いており、仕事上でも欠かすことのできない助言者となっていました。熊本での保険勧誘をするも行き詰まり夜逃げすることも考えた市村に対し「1つの契約も取れずに諦めることは、あなたの経歴に汚点が付きます」と言って壁を破るきっかけを作ってくれたり、福岡で始めた吉村商会の店の拡張の努力、上京の決意というように、事あるごとに市村は幸恵に相談し、その助言を杖として飛躍したと言っても過言ではないでしょう。
幸恵はというと、結婚当初から家庭を守る妻として市村を支えました。その日食べる物を買うお金に困る事が幾度かありましたが、清には気付かれないよう、自分のおかずを減らしたり、時には清に内緒で幸恵の実家に頭を下げてお金を借りた事もあったといいます。
そんな辛い状況に陥ってもなお、幸恵が清を支え続けたのは、清の仕事に対する熱意に“この人はどんな時も何とかして成功させるだろうという漠然とした期待、安心感や信頼感もあって、内職をしてでも仕事を続けさせてあげたい”と思ったからです。
市村清と幸恵夫婦の結婚生活は苦難続きで波乱万丈でしたが、協力し合い乗り越えてきたおかげで、二人の間にはしっかり築かれた信頼関係があり、言わずともお互いが何を考えているのかつぶさに分かっていたのだろうと思います。それが良い夫婦関係を長続きさせる“秘訣”なのかもしれませんね。