今月の市村清
Monthly
“今月の市村清”―2022年10月編―
三愛石油 羽田営業所開設
―ハイドラントシステム給油料金決定までの攻防―
明治記念館の再建で成功を収めた市村清は再建から5年経った1952年に経営からあっさり身を引きました。再建に投じた資金1,800万円が手元に戻り、市村はその中から800万円を明治神宮に寄進しました。その後、同郷の旧知の友人で日本航空の社長らに航空機燃料を供給する会社の設立を後押しされ、残りの1,000万円を元手に石油事業と航空機燃料供給を扱う三愛石油(現 三愛オブリ)を1952年6月に設立し、その4か月後の10月に羽田営業所(現 羽田支社)を開所し燃料事業の基盤を作ったのでした。
三愛石油の設立は以前の「今月の市村清」でも紹介していますが、巨額の資金を投じて羽田にハイドラントシステムを建設するも、外国の航空会社から給油料金が高いから安くしろと言われ、給油を拒まれてしまいます。それならばニューヨークやワシントンの空港の給油料金表を見せて欲しいと言っても見せてはもらえません。アメリカ大使館やイギリス大使館からの苦言が航空局長の耳に入っても市村は「国際水準から言っても決して高くない。公共的なものだからできるだけ安い料金で入れられるようにしている。料金表も見せないで高いから払えぬと言われても納得できない。」と持論を述べ、社員からは、「このままではパイプが錆て使えなくなってしまいます。いい加減妥協してもらえませんか?」と言われても、たとえ腐っても向こうが料金表を見せなければ、納得できないと辛抱強く待つことにしました。これは商取引によって得る外貨収入が会社にとっても国庫にとっても有益であると思っての行動でした。そのためには1年でも2年でも待とうと決めたのです。半年も経つと発着便が増えたパンアメリカン航空が試しに使ってみようと言ってきました。給油してみると手押しポンプでは1時間20分かかっていたのがハイドラントならば、15~20分でできてしまう。見学に来ていたノースウエスト社も“これはいい“と、このことはすぐに広まりました。こうして市村が定めた料金で航空会社との契約が成立しました。
航空関連事業は公共事業でもあり、独占事業だけに高くちゃいけない。少々の犠牲を払ってもやっていこうと決め、将来必ず10倍、20倍の利益を生むだろう。そのとき儲かればいい決心したものの、設備投資に関わる経費が重くのしかかり、三愛石油は創業から8年間も無配が続きました。しかし市村の予想は的中し、その後、順調に給油量が増え利益を創出し経営は上向きました。三愛石油は今年4月、創立70周年を機に社名を三愛オブリに変更しましたが、市村の信念を受け継ぎ社会インフラを担う企業としての責務を果たし人々の生活と産業を支えるパートナーになることを目指して発展しつづけています。市村も三愛オブリの成長を嬉しく思い目を細めていることでしょう。