今月の市村清
Monthly
“今月の市村清”―2022年11月編―
壮絶な生涯を綴った伝記
~『茨と虹と―市村清の生涯―』 を出版 ~
今でも、三愛会会員会社の中には新入社員教育の資料として使われている『茨と虹と ―市村清の生涯―』。これは、市村の壮絶な生涯を鮮明に綴った伝記として1969年に出版されたものです。
1968年12月16日、リコー三愛グループ創業者の市村清が永眠。間もなくして、妻の幸恵と三愛会幹部らが協議し、市村清の生涯を伝記としてまとめ後世に残そうと決めました。そして、その筆者として白羽の矢が立てられたのは、日本経済新聞社で記者をしていた尾崎芳雄氏でした。尾崎氏と市村との最初の出会いは、1961年(昭和36年)秋頃、当時日本経済新聞社の顧問で市村の知人でもあった小汀利得氏からの示唆で市村の自伝を新聞に書いてもらう事を依頼しに行った時でした。この時、市村は過去の交通事故の後遺症で右手が思うように利かなかったため、尾崎氏は延べで10数時間、感情をこめて語る市村の追憶談を聞いて自ら原稿にまとめたそうですが、のちに新聞に掲載された際は“大いにうけた”と評しています。尾崎氏は、この縁がきっかけでその後も市村の著作をまとめる際に尽力した人物です。
『茨と虹と』は、尾崎氏の手により市村が逝去した翌年、命日の12月16日に発行されました。“あとがき”には、市村の生涯を記録としてまとめるという大役の依頼に、尾崎氏がどんな思いで応えようとしたかが記されています。
―― いざペンをとってみると、二、三の危惧が生じてきた。客観的に書く伝記だから、筆者の気構えは主人公と等高の線を維持せねばならない。また事業家の生涯だから、時代の背景、多岐にわたる企業の骨格もカナメである。それに、亡くなって間もないという時間的制約もある。それらの壁がどこまで越えられたかは読者諸賢の判断にまつほかない。ただ、生前の市村さんから受けた人間的な印象はきわめて赤裸々なものだったから、それだけは浸み出るように努めた。――
“市村との絆はいつも文章だった…”という尾崎氏。今でも、『茨と虹と』を読むと市村のありのままの感情や人並外れたエピソードの数々が頭をめぐり、とてつもない偉大な人物だったんだなーと改めて思い知らされます。
秋も深まり、読書に最適なこの時期に、今一度本書を読み返してみるのはいかがでしょうか。