今月の市村清
Monthly
“今月の市村清”―2020年8月編―
適正価格
―でも食料品は素人ではやれないものだ—
8月には終戦記念日があります。その4日前に日本の敗戦がわかり、戦後日本で自分は新たにサービス業を興すと市村清が決めたくだりを一年前の「今月の市村清」で紹介しました。
サービス業を興す理由は、製造業では戦勝国に敵わないと思う他に、戦地から戻ってくる社員たちに働く場を提供してあげなければならないという経営者の想いがあったのです。
そこで三愛というお店を立ち上げるのですが、皆さんは最初から「ファッションの三愛」だったとお思いでしょうか?
実はそうではありません。
開業時の「三愛」は食料品に重点を置いた雑貨店でした。ハム、ソーセージ、鮮魚、野菜から衣料品や文房具、貴金属の類まで、仕入れできるものは何でも販売する「生産直結の店」というスローガンのお店でした。
さらに知人のつてを頼りに、直接生産地やメーカーに出かけ商品を仕入れていたため、三愛の商品は安くて豊富だと評判になり何でも飛ぶように売れたそうです。
ところが昭和22年頃から戦後のインフレが急激に進み、ヤミ価格の暴騰は東京都が設定する公定価格の20倍以上にもなりました。これでは到底一般庶民には手が届きませんし店側にとっても仕入れ価格の高騰を意味するものでした。
そこで市村は「適正価格」というアイデアを思いつきます。公定価格はあってなきが如しだし、ヤミ価格は暴利をむさぼるヤミ屋によって暴騰するばかり。これを是正するには正しい利幅で大衆に商品を売っていくしかないと信じ市村は実際に適正価格で販売し続けました。結果、大衆から賛同され三愛はいつもながらの人気店でした。
しかし、その裏ではヤミ屋から嫌がらせを受け、公定価格を標榜する東京都の役人や警察からも違法行為だと追い詰められていました。
何日も悩んで途方に暮れていた市村でしたが、市村を気にかけてくれていた日本橋警察署長がある日、勢いよく店に飛び込んで来て、「こんどの勝負はあんたの勝ちだっ!東京都の青果市場でも適正価格で売っているのがわかったよ。都営の市場でやっているなら誰だってやっていいわけで、もう私どもは市村さんに文句を言いませんよ。」市村が信じ主張した適正価格はついに世の中の大道に通用する商法となったのでした。
しかし、戦後4年が経つ頃には世相も混乱期を脱し、食糧事情も安定して、食料品を中心とした三愛のビジネスは分岐点を迎えます。あれほど繁盛しながら、期末決算になると意外に儲けが少ない、あるいは赤字が続くのですが、なぜでしょう?これには笑えぬいくつかの事象がありました。例えば、北海道の塩サケを大量に仕入れ貨車に満載して運んできましたが、運搬の途中ですっかり乾燥して半分くらいの重さになってしまい、そのまま売ったものだから、120万円くらいの損失になってしまいました。塩サケは売る直前に一度水に漬けて目方を戻すという魚屋の初歩的知識を知らなかったのです。またある時、漬物を大量に仕入れた際、四斗樽の底から次第に腐りだして大きな赤字になったなど、武士の商法のような悲喜劇があったのです。
市村はこれらの経験から、食料品は素人が簡単にやれるものではないと悟り、やめることを決断したのでした。
このあと、三愛の新しいビジネスを「女性ファッション」に決定するくだりはまた別の機会に。