今月の市村清

Monthly

“今月の市村清”―2024年9月編―

水飢饉に思う

~日本の大きな課題とは~

近年、地球温暖化による影響もあってか、異常気象に見舞われることが多くなりました。天気の急変で発生するゲリラ豪雨による水害のニュースもよく目にするようになりました。

食料品店から婦人オシャレ専門店として業態転換した三愛も軌道に乗り、羽田空港のハイドラントシステムの完成やカメラの輸出拡大など市村の起業した事業が好調続きだった1950年代は、日本に毎年のように大型台風が襲来し、水害をもたらしました。中でも1959年9月の台風15号(伊勢湾台風)は東海地方を中心にほぼ全国にわたって甚大な被害を与え、犠牲者数は5000人を超える大災害となりました。
ところが、大水害の後に東京を襲ったのは大渇水でした。急速な経済成長で都市部の水の使用量が急増して水不足が深刻化。さらに1960~62年にかけての東京の年間降水量は平年の半分以下で、水源のダムや貯水池は完全に干上がってしまいました。市村は、大水害に続く大渇水の悲惨な状況を目の当たりにして、国や国民の意識の低さや無計画さに憤りを感じました。

―水に対して今まで真剣に考えたことがあるだろうか。いざ東京が極端な水飢饉に見舞われると、初めてみんなが水に対して関心を持ち出してきたわけで、今までは水なんていつでも手に入るという、あなた任せの軽い気持ちでいたのが日本の実情ではなかったか。
水といっても単に水だけの問題ではなく、水を確保しようとすると、どうしても保安林の問題が出てくる。
日本は貿易外の国際収支が赤だといって大騒ぎしているが、これを解決するには何といっても観光収入によるのが一番もうかる。観光資源を培養するという点からも、国立公園などのために私有地もどんどん国が買い上げて、国有林をうんと造って、せっかくの日本の風光明媚を生かすように努力すべきじゃないか。
水資源の枯渇ということも非常に救える。これこそ一石二鳥、三鳥の効果があるという気がする。
昔から政治の根本は山を治め水を治めることだといわれていたにもかかわらず、その肝心のことが反対に放任されて、山は切るに任せている現状だ。木を切ったという事が水の問題に響いている。
木があると、水は枯れ葉が積もったところをじくじくと地までしみて下がっていくから、第一に蒸発しない。それから流れが遅い。だから得る所が非常に大きい。
そういう風に考えていくと、日本としてはもう一遍出直さなければならない問題がたくさんある。
先頃の水飢饉の問題をきっかけに、みんながそういうことに目覚めていってくれればいいと思う。

一度壊れてしまった環境を元に戻すのはとても大変なことです。この自然を守らなければ日本の未来は危ういということを、すでに市村は感じていたのかもしれません。

今日のひとこと
〜市村清の訓え〜


今日のひとこと 〜市村清の訓え〜