今月の市村清
Monthly
“今月の市村清”―2024年10月編―
旧友との再会
~よかったらうちに来ないか~
昨年、最も暑い夏といわれていましたが、今年も同様に観測史上最も暑い夏だったようです。この暑さがどこまでも続くようで不安を覚えるくらいでしたが、10月を迎えようやく、吹く風も秋めいてきました。
秋といえば、運動会。そして運動会といえば、市村清が最後の力を振り絞って、社員の前に姿を見せ、万雷の拍手に見送られたのが、1968年11月に千駄ヶ谷の東京体育館で行われた「リコー三愛グループ大運動会」でした。市村は、大会会長として列席し、ロイヤルボックスで、全社員が次々に繰り広げる各種目の和やかな雰囲気を楽しんだのでした。
市村最後の大運動会から遡ること30年ほど前にも、運動会を舞台にしたちょっとした逸話があるのを皆さんご存知でしょうか。それは、旧友との再会を通して市村の性格の一面を覗かせるものでした。
当時から、毎年秋になると市村が経営している関係企業が集まって社員慰労のために合同大運動会を開催するのが恒例になっており、1938年の運動会は豊島園のトラックを1つ借りて行われました。あちこちのトラックで、運動会や園遊会が催されていましたが、隣の運動場には「帝国無尽大運動会」という看板が立っていました。運動会になるといつも先頭になって自ら徒競走などに出場する市村が、その日もテープを切って鼻高々と大笑していると、彼は意外な人の訪問を受けたのです。隣の運動会場から、白いスポーツシャツ姿で訪ねてきたのは、十数年前大東銀行(北京)へ赴任するときに別れた旧友の風間銀蔵でした。
東京の本郷にある大恩寺に二人で暮らしていたころ、共産主義に熱中したり、家族へ絶縁状を書いたりして苦悩呻吟していた貧乏学生の市村が少壮実業家として成功している姿に、風間は心底からの尊敬を払わずにいられなかったようです。
運動会が終わると、市村は風間を馬込の自宅に招きました。「君は偉い奴だと思っていたが、よくここまでやったな。」「いやいや、まだこれからだよ。しかしおれは徹底的に自分を試してみるつもりだ」二人は夜を徹して幸恵夫人の手料理で酒を酌み交わしつつ懐旧談にふけりました。銀行時代に草野球に夢中になったり、慰安旅行の帰りに車中で偶然知り合った女性が市村に惹かれ、風間が間に立って、その気持ちをあきらめさせる、という役回りをしたことなど、幸恵夫人も、そばで夫の艶聞を聞いて楽しんでいました。
風間はその時帝国無尽株式会社の一課長でしたが、市村はこの旧友に、よかったら自分の会社に入らないかと勧めたのです。風間は感動し、戦後市村が創設した三愛と明治記念館の2つの事業に経理課長として入社したのでした。
市村が、何年も会っていなかった苦労時代の旧友に手を差し伸べる、律儀な一面を覗かせるエピソードです。