今月の市村清
Monthly
“今月の市村清”―2024年5月編―
地球に優しい男
~エコロジスト市村清~
先日、リコーが第32回『地球環境大賞』の“経済産業大臣賞”を受賞しました。
リコーは1994年以降、約30年にわたりサステナビリティ活動を継続してきていますが、市村清もまた、世間がまだ地球環境に関する意識が薄かったころから、自然を守らなければ地球の未来は危ういということを感じていました。
1963年、市村は大宅壮一、池田弥三郎各氏らとともに行政審議会委員に就任しました。
当時の隅田川は工場廃液も生活排水も流れ込み、どぶ川と化していました。
「いろいろやってみると、あまりにもやることが多くて驚いているが、その中で最初に取り上げたのが、公害である。隅田川が極端に汚くなったというのも、初めは隅田川の流域に6つか7つの大工場ができるぐらいにしか考えていなかったらしい。そこから出る廃液ぐらいは大したことではないと思っていた。ところが今は大工場だけで70以上ある。それなのに、その廃液の処理を法規上あまり取り締まっていない…」
今の隅田川の姿からは信じられないことですが、サケも上ってくるほどきれいな川になった背景には、市村らが政府にやかましく注文を付けた結果、法整備が進み厳しく規制されるようになった成果と言えます。
また、1964年3月に富士山の五合目まで有料自動車道路(富士スバルライン)が完成したというので、市村は行政審議会委員として5月に視察に訪れました。きれいな白樺や松の間にシャクナゲが密生しているところに、よくもこうと思うくらい種々雑多のゴミが捨てられているのを見て市村は憤慨しました。そのうえ、大の大人が自家用車で来て、息子と二人で木を掘っているのを見て注意をしたら、「何をやろうと自由じゃないか」と言われ、情けない思いにかられました。
「日本人の一番大きな欠陥は、公徳心の欠如ではないだろうか。だから公徳心にもとることをやっても、あまり責められない。こういう社会風潮を改めないと、とても直らないだろうと思う」
さらに、富士山には想像以上にゴミが多く、たばこの吸い殻や空き缶を平気で窓の外にポイポイと捨ててケロッとしている人が後を絶たない状況を見て、市村は怒りを覚えました。見かねた市村は後に、富士山の景観を損ねないよう工夫したゴミ箱を設置しています。
このように環境問題がまだ地球規模の問題になっていない頃から、市村は新しい視点に立って公害問題や自然保護に取り組んでいたということが今日の私たちの貴重な示唆となっているのです。
地球に優しくない行為を見た市村の怒りは、時代を超えて今の私たちに届くような思いがします。