今月の市村清

Monthly

“今月の市村清”―2023年6月編―

母と父

~甲斐性のない父だったからこそ~

5月の母の日の華々しさに比べて、6月の父の日は地味な印象が否めません。
市村清にとっても、母は、守ってあげたい、幸せにしてあげたい、と抑えがたい感情の昂ぶりを露にするのですが、父については冷静に語ります。暴君のような父ではありましたが、その資質や合理的な考え方などには、寧ろ畏敬の念さえ抱いていたように思われるのです。

市村は、自身の著書で、「母を思うとき、私は少しくデリケートな気持ちに陥る。懐かしく、うれしい数々の思い出とともに、消えやらぬ悲しい記憶が残っていて、それがこもごも胸に迫ってくる。母の生涯を振り返ってみて、一番気の毒なことは、結婚が失敗ではなかったか、ということだ。私の父は大変な奇人であったうえに徹底的な暴君でもあったからである。
多少の田畑はあったけれども、生活は年中苦しかった。父はそのウップンを母にあたることで晴らしていたようだ。」と綴ります。そして、子供心に、「僕はいまに、きっと強くなって、必ずお母さんを幸福にしてあげるぞ」と心に誓ったのです。

一方、父は、生業である農家の仕事に身を入れることはなく、村の者を集めては従軍談を語ったり、寝転んで小説を読みふけるかと思うと、朝から久留米や小倉の競馬場に出かけてしまいます。しかし、その性格の中には、強い反骨精神と合理性を潜めており、清は幼少の時からかなり強く父の影響を受けていたのでした。
「私はこの父から、資質のうえだけでなく、処世の心構えについても随分多くのものを受け継いでいる。落魄の身に甘んじながら、さすがに武士の血は争えず、その気骨と窮理の着眼において、凡庸でないものを父は持っていたように思う」と評しているのです。

確かに、父からスズメ捕りやウナギ捕りで教えてもらった「そのものを狙うな」の真髄は、市村の人生にも事業経営にも大きなプラスになりました。小学校の担任から佐賀中学受験を勧められた時に、母は家計のために働いてくれることを願ったのに対し、父は先を見据えて受験を勧めたのです。結果的に中退をしてしまいますが、この時の友人達が後の事業経営に助言を与え、市村の成功に大きな影響を及ぼすことになるのです。
さらには、逆説的ではありますが、市村は父が甲斐性のない人だったからこそ、かえって自分が発奮することになったのだとし、もし父が生活力の旺盛な人で、大学まで学費の苦労もなく卒業していたとしたら、その後の人生も随分違っていただろうと振り返っています。
本当に、何が幸いするかわからない。一見不幸にみえるようなことの中に、かえって、将来の幸福の種子が含まれているのだと、述懐するのでした。

今日のひとこと
〜市村清の訓え〜


今日のひとこと 〜市村清の訓え〜