今月の市村清
Monthly
“今月の市村清”―2023年4月編―
銀座のランドマーク
三愛ドリームセンター
先般、三愛ドリームセンターの建て替えが決まり発表されました。
1963年1月、深夜0時の開店披露宴は世間を驚かせ、銀座4丁目交差点付近には夜店が並び大賑わいでした。以来、銀座のランドマークとして親しまれてきた三愛ドリームセンター。
市村清は100坪ほどの土地を銀座というロケーションを生かして、広告に特化した建物にすることを決めました。設計は市村が信頼を寄せていた(株)日建設計の林昌二氏。林氏は日本を代表する建築家で彼が設計した建物の数々は名建築として有名です。林氏にとっても建築と広告を融合した建物ははじめての取り組みであり、東京の中心にふさわしいシンボルとしての新しいイメージの実現に挑んだのでした。
五重塔をヒントに建設されたことは有名ですが、市村は最初、建物の中心に太い柱を立てて建物自体を回す仕掛けにすることを思いつきました。さすがに、建物を回すことは法規上許されることではなく、そこで中央の柱の中にエレベーターを入れて円柱型のビルにすることにしました。地上9階の総ガラスの円柱ビルは普通の店舗の10倍から30倍の明るさを確保するために三菱電機に高圧の最高設備を設置してもらい、店内の明るさは3000ルクスに設定。屋上に大きなネオンサインを置き銀座の夜を一段ときらびやかに照らし、その姿はまさに光の塔。各フロアの天上に用いたスカイスケープという特殊な形状が光の塔を効果的に演出し三愛ドリームセンターは異彩を放ったのでした。
さらに市村は、総ガラス張りの外壁を週に1度の頻度で清掃をして常にきれいに保つために洗剤メーカーにスポンサーになってもらうということも発案し、ゴンドラに乗る清掃員のユニフォームの背中に「××洗剤で清掃中」とすれば宣伝効果も100%であると、洗剤メーカーを募集したところ申し込みが殺到して選考に苦労したほどでした。結果、当時の金額で月に50万円程かかる清掃代がタダになり、洗剤メーカーから毎月20~30万円の広告収入を得るなどアイデアは無限にわきました。
特殊な強化ガラスを一から開発するなど、このビルに使われたほとんどすべての材料・工法は日本ではじめてのものばかりでした。1F入口に設置された恋の招きネコ「コイコリン」も著名な彫刻家・流政之氏の作品で、壁面のRICOHマークのオブジェも流氏によるものであり、当時の建設に携わった人たちのエネルギーの結晶のような建物は長く人々を魅了し記憶に残る建物になりました。
このたび、竣工から60年を経て老朽化が進み安全性の確保と社会的責任を考慮して建て替えとなりますが、いつまでも銀座の思い出とともに三愛ドリームセンターは人々の心の中に生き続けることでしょう。
そして、2027年に「CIRCULAR(サーキュラー)-めぐり めぐる よろこび-」をコンセプトに生まれ変わります。