今月の市村清
Monthly
“今月の市村清”―2022年12月編―
成功への渇望
~こすっからいやつが大嫌い~
1968年12月、病に倒れた市村清は、泉下の客となりました。
起業の神様、アイディア社長と称えられ名声を欲しいままにしたかに思われた市村でしたが、リコーの無配転落から復配に至る2年間は、自殺も考える過酷な時期でした。
そんな時期に著した「明日への着眼」(1965年2月発刊)に、なぜ市村がそれほどまでに成功に執念を燃やすのか、その想いが記されています。
「弱きを助けて成功」こういうやり方とはまったく逆の行き方をして事業が強大になった人があったとしても、それは決して成功ではない。弱い者をたたいて力に任せて強大になっただけで、そういう人には断じて我慢ができない。私のような行き方の方が本当に大きくなっていくのかどうなのかは分からないが、なんとしてもこういう行き方が勝つのだということを実証したいものだ。
私はこすっからいやつが大嫌いである。才知に任せてやるというのが大嫌いである。いわゆる正直者がバカをみるという世の中には絶対なってはいけないという強い悲願を持っている。
そうすると私自身が、人をいじめたり弱みにつけ込んでうまいことをやったりということをしないで、いつも弱い者の味方をしながら成功しておかないと、やっぱりこすっからい、うまい行き方をしなければだめだということになる。こういうことに対して私は燃えるような情熱を持っている。
まじめな正しい人だったら、できるだけ助けたい。そういう人は良くなるのだということをできるだけ見せたい。奸知にたけた男などというのは決して良くならないのだ、そういう人をたたいて、それの良くないことを見せたい。これが今後の私の仕事であると思う。むしろ、それに生きがいを感じていると言っていい。そういう意味で、自分自身が本当の成功をしなければいけないと思って、自分自身を勇気づけているわけである。
そして、こういうふうに正しいということと愚直に努力することが、結局最後の勝ちだということをどうしても世の中に示したい。これが私の悲願であり、また欲である。
貧農に生まれ、学歴も、健康も、信用も何一つ恵まれた要素のなかった市村ができることは真摯に、誠実に物事に取り組み信頼を獲得することでした。そして、市村が「成功」という証を渇望していたのは、我欲としてではなく、このやり方が間違いではない、正しい方法であったという、生き方の範を示すためであったのです。