今月の市村清
Monthly
“今月の市村清”―2021年8月編―
『何でも貸します!』
—日本初のリース会社設立—
1963年夏、市村清は日本初となるリース会社「日本リース・インターナショナル」を設立し、8月1日に創立総会及び披露宴が東京のホテルオークラで盛大に開かれました。
当時、既にリース業はアメリカでは盛んでしたが、所有欲の強い日本人には不向きとされていました。しかし市村は、いずれ時代は“使用すれど所有せず”という流れに変わるだろうと見込んでいました。
先見の明を示すかのように、市村はある雑誌の取材にこう答えています。
『リース業はいまの日本で一番必要なもののひとつだね。ボク自身、ずいぶん前から注目していた。10年前に明治記念館を結婚式場として開業したとき、貸し衣裳をやって大変好評だった。婚礼用だけでなく、奥さま方がPTAや芝居見物にいくとき、衣裳からアクセサリーまでいっさい貸したら、世の亭主族はずいぶん助かるだろうなと考えたものだ。
7年前に家を新築した。応接間にソファを入れたが、夏になったら暑苦しくてしかたがない。籐イスにでも変えたいと思ったが、女房はソファをしまうところがないというんだ。そのときもこれが借り物ならいいと思ったね。
5年前、新製品をつくるための工場設備が必要になったことがある。つくれば売れることはハッキリしている。ところが、いまそれだけの設備投資をするのは負担が大きすぎる。余裕ができるまで待っていたんでは、はたして製品が売れるかどうか自信がない。こんなときに、機械を貸してくれる会社があればと痛感したよ。ただ、リース会社をやるには、パク大な資金がいる。幸い金融もゆるんできたし、各銀行を糾合してやるには系列の色のついてないボクが一番適任と思って踏み切った。ともに使って、ともに栄える—共有共栄主義とでもいうべきかね。』
市村はリース会社設立にあたり、注文があれば銀行、保険会社などから融資をうけてリースする商品を用意するために最高級の信用が必要と考え、富士銀行をはじめとする日本の主要銀行や損害保険会社、新三菱重工業、小松製作所、松下電器産業などの多くの一流メーカーを網羅した株主と、経団連会長の石坂泰三や日立製作所会長の倉田主税、トヨタ自動車工業社長の中川不器男など財界のそうそうたるメンバーで役員を構成し、資本金10億円として開業しました。
日本リース・インターナショナルの誕生は全国に大きな反響を呼び、「使用すれど所有せず」「利益は所有からではなく使用から生まれる」などのキャッチフレーズも話題になって、市村のアイデア社長健在なりという印象を世間に与えたのです。
日本リースはその後、さまざまな経緯を経て、1999年にアメリカの総合電機メーカーのゼネラル・エレクトリック(GE)*により買収されています。
※のちにGEキャピタルリーシング、GEフィナンシャルサービスに改称、2010年に日本GEに合併