今月の市村清
Monthly
“今月の市村清”―2021年9月編―
宮様からいただいたキャデラック
—夢のひと時 プリンセス&プリンス!—
日本が終戦を迎えた1945年の秋、市村清は賀陽宮(かやのみや)家の別当 岡田元中将の訪問を受けました。
岡田元中将の話では、敗戦後の宮家は財産も全て封鎖され野菜一つ献納する者もなく、すっかり生活に困窮されているご様子とのこと。これを聞いた市村は、大変お気の毒に思い持ち合わせていた5万円を岡田元中将に渡し、何かにお役立ていただきたいと申し出ました。
「見ず知らずのあなたから献金といっても、宮様は受けられるだろうか」
「何も私は別に求めるところがあって献金するのではないから、まあ取り次いでください」
「そう、あなたの人柄は私が知っているから、ともかく預かっておきましょう」
と言って岡田さんは一旦金を持ち帰りその後、宮様がその好意をお受けになられたと聞き、“ああ、よかったな”と思っていました。ところが、それから4~5日経ってまた岡田さんが訪ねて来られ、なんと今度は大きな自動車をもってきたではありませんか。
その車は、時の占領軍司令官マッカーサー元帥の乗用車と色も形もピッタリ同じ1942年型のキャデラックでした。何でも、シンガポール作戦のときに接収したものを東條大将が賀陽宮様に献品したものだそうですが、宮家には他に自動車が2~3台あり、キャデラックはガソリンも使うので、先日の市村の好意に感銘された宮様が下賜されたのでした。
市村は躊躇したものの既に名義の書き換えも済んでおり、宮様からの下げ渡しの品を「それならば、しばらく使わせていただきましょう」とありがたく頂戴したのでした。
こうして市村は、マッカーサー元帥と同じ車に乗ることになり、望外の経験をすることになるのでした。
その頃の街々の交差点では、GHQのMPが交通整理を行っていました。後部座席に市村が乗ったキャデラックが交差点を通りかかると、MPがあわてて台から降りて最敬礼するので、いたずら好きな市村には愉快であったに違いありません。
ある時には、馬込の自宅から五反田に出かけた帰りの夜道でキャデラックが故障してしまい止まっていると、アメリカ軍の将校たちがそれに気づき、ジープで牽引したり押したりしてくれましたがエンジンはかからず、遂には馬込の自宅までジープで送ってくれたのです。
市村は家にあった酒などでもてなし、それが縁でその後もウェアー少佐とは親しい付き合いが続きました。
また、市村の実弟・茂人の新婚旅行先の下見にと、箱根に行ったときのことです。富士屋ホテルの周辺はアメリカ軍の将校たちが宿泊していて、キャデラックが通ると将校たちがびっくりして敬礼するのです。そして「プリンセス・アンド・プリンス」とささやいている。幸恵夫人を伴って乗っていたので、宮様と勘違いされたのですが、これらは市村のまごころが発端の思わず微笑んでしまう夢のような出来事でした。
しかし、このキャデラックはシンガポールのイギリス総督の車だったので、のちにGHQから接収命令が下り警視庁としても、どうしたものかと頭を痛めていました。市村も事情を知り困っていたところ、そのような状況を知ったうえで、それでもこのキャデラックに乗りたいと申し出た金子と名乗る資産家に譲ったのでした。金子氏は、その後3~4カ月は得意気に乗り回していたようでしたが、ある日GHQ本部の前でMPにストップをかけられ、車を取り上げられてしまったのだそうです。
市村の無欲がキャデラックを譲りうけることになり、無欲なるがゆえにMPからの没収という不名誉も免れたというエピソードでした。