今月の市村清
Monthly
“今月の市村清”―2019年7月編―
まぼろしだった…?“札幌 ホテル三愛”オープン
45億円の巨費を投じた国際観光ホテルを札幌で開業
札幌の中心街からほど近く、自然景観を楽しめる“中島公園”に隣接する「札幌パークホテル」をご存知ですか。かつて、上皇上皇后も何度か滞在されたことのある由緒あるホテルです。
オープン当時の名前は「ホテル三愛」でした。
…そう、市村清が創設したホテルです。
「市村さん、札幌に豪華なホテルをつくってくれませんか!」
胃潰瘍手術の療養のため北海道を訪れていた市村に、北海道知事の町村金五らがホテルの建設を懇願しに来たのは、1961(昭和36)年夏のことでした。
市村は笑いながら「考えてみましょう」とその場をやり過ごしましたが、“市村は次に札幌でホテルを始めるらしい”というウワサはあっという間に広まりました。
当時、北海道にはまだ一流のホテルが少なく、1964(昭和39)年に東京でオリンピックが開催されることもあって、冬季オリンピック招致の機運が道内で高まっていたのです。
北海道は市村の事業分野として唯一未開拓の土地でもあり、ホテル事業への参入に少なからず興味もありました。
こうして1962(昭和37)年、市村は関係者たちの要望に応えてホテル三愛の建設を決意。
札幌市では、敷地候補として札幌市内随一の景観を誇る中島公園内の6千坪の土地を坪8万円の安値で払い下げることを提案しました。
設計は、佐賀の市村記念体育館をはじめ豪華建築の設計者として定評のある坂倉準三氏に依頼。
それから1年8カ月の歳月をかけて、ホテル三愛は東京オリンピック直前の1964(昭和39)年7月に完成しました。
地上11階、地下3階、客室総数225室、全室バス・トイレ付きで冷暖房完備、和洋中5つの高級レストランの他、バーやスカイラウンジなどはもちろん、中島公園の景観を生かした1500坪の庭園や結婚式場もあり、さらに驚くことに、地下2階にはホテル内ボウリング場として日本最大の36レーンを擁する“三愛ボウル”を設けるなど、豪華絢爛なホテルとして誕生したのです。
同年秋、東京オリンピックの開幕を機にホテル三愛を訪れたIOC(国際オリンピック委員会)のブランデージ会長が「すべてが立派で国際級」と賛辞を贈ったほどでした。
しかし、何もかもが順調かと思われた矢先、市村の事業の中心であるリコーの不振もあって、開業からわずか2年足らずで手放すことに…。
市村は社長退陣の際、従業員を一堂に集め、みんなの身の振り方については全責任を持つと話した後、絶句して男泣きに泣いたのでした。
その後、ホテル三愛は幾度か運営会社を変え、名称も変えて現在は「札幌パークホテル」として営業を続けていますが、市村の提唱した“三愛精神”はホテル三愛として開業した時から今も変わらずに創業の精神としてしっかりと受け継がれているそうです。