会誌
すくらっぷ帖

Past feature articles

三愛会の機関誌として1954年に創刊した三愛会会誌。創業者・市村清の思想をはじめ、会員会社の動向や社員同士のコミュニケーションツールとして発行されてきました。
「会誌すくらっぷ帖」では、今までに会誌に掲載した記事の中で、特に人気の高かったものや、発行時の時代を反映した興味深い記事を厳選して紹介していきます。

三愛会会誌59号(1969年発行)

一年の終わりとなる師走。12月は、市村清が今から54年前となる1968年に急性肝萎縮症のため逝去した月です。当時のリコー三愛グループは21社。その総帥であり創設者でもあった市村を亡くし、社員は悲痛の思いだったことでしょう。三愛会では、市村を悼み翌69年の市村の誕生日に合わせ“市村清追悼号”を発行。親交の深かった人たちによる追悼の言葉や葬儀の様子、故郷からの哀悼などを掲載しています。その中から今回は、市村の身近に仕えた方々による座談会「身近に接した市村三愛会会長」を紹介します。

59号PDF版(抜粋)を閲覧する(PDF 22.3 MB)

表紙は僕が好きだった画家の奥村土牛先生によるもの
だよ。僕が大好きだったカトレアを特別に描いてくれたんだ
けど、そのために花屋に出向いて気に入ったカトレアが見つ
かるまで探し続けてくれたんだ。
その気持ちが本当に有難いね。

座談会のメンバーは、僕の秘書をしてくれた人たちや僕の一番近くで仕事をしてくれた役員たち7名によるものだよ。僕の第一印象は、威圧されるような気性の激しい人、涙もろい人、やさしい人、きさくでざっくばらん、ユーモアの人などさまざまだね。僕は皆が思うほどコワイ人じゃないんだよ!

リコーが不況に陥ったとき、僕を救ってくれたのは従業員のみんなだった…。あの時は夜も眠れず死にたくなったくらいだよ。秘書の人たちは特に僕を心配してくれて、一生懸命尽くしてくれたっけ。

僕はせっかちだし、短気ですぐ怒る。それは反省しなくちゃいけないね。でも、みんながかわいいから怒るんだ。社員は僕にとって家族だからね。でも、女の人には怒鳴ったことはないよ!

僕の好きなものは秘書の皆が一番よく知ってるね!映画も好き、おそばもラーメンも好き、花も大好きだよ。一日銀行回りをしているとお腹が空いて、運転手さんと一緒におそばやアイスクリームを一緒に食べたっけ。

皆、僕との最後の思い出や感謝の言葉をたくさん語ってくれてありがとう。涙が出るほど嬉しいよ。そんな社員の皆を残して僕は先に逝ってしまったけれど、リコー三愛グループの将来は君たちに任せたよ!

今日のひとこと
〜市村清の訓え〜


今日のひとこと 〜市村清の訓え〜