今月の市村清

Monthly

“今月の市村清”―2023年11月編―

“儲ける”方法を子どもながらに考える

~野菜売りを選んだ理由~

先日、テレビから『今年は異常気象の影響で野菜が高騰している』というニュースが流れてきたのを耳にしました。特にネギやニンジン、秋の味覚の栗やマツタケなども不作で日を追うごとに価格が高騰。その影響で焼き鳥屋がねぎま串を提供出来ず頭を悩ませているという話です。野菜は天気の影響をもろに受けますし、出来過ぎても少なすぎても農家には打撃となります。そんな時、ふと“市村清も子どものころに家計を助けるため野菜売りに出掛けていたよな…”と、清も同じような苦労をしたんだろうか?と思いました。

市村清は三愛会会誌に、『私の歩んだ道』というタイトルで6号にわたり自身の人生を振り返ったエッセイを掲載していますが、その中に、幼いころに野菜売りをしていたというエピソードが出てきます。
読み返して改めて知ったのですが、清は野菜売りをする前に別の方法でお金を稼ごうと企んだことがあるとか。それは、ネギの根を摺った汁で文字を書くとあぶり出しが出来るということを利用し、吉凶を占う“辻占(つじうら)”を作って売るという方法でした。辻占とは、日本で行われていた占いの一種で、吉凶を判断するための言葉を書いた紙片のこと。子どもがおみくじを売ることも辻占と言っていたそうです。
しかし、辻占は夜に街の十字路(辻)の角などで売るものと世間的に決まっていたらしく、佐賀の田舎から街へ行くには暗い竹藪を通り抜けなければならず、さすがの市村も怖気づいてしまったとか。しかもこんな怖い思いをしても、一晩に売れてもせいぜい2~3枚、辻占は一枚1銭ほどだから割に合わないというので断念したと語っています。
昼間に売りに行けてもっと割が良く、出来るだけ損をしない金儲けは無いものか?と考えた結果、自分の家の畑で作った野菜を売ることにしたそうで、そうすれば売れ残っても自分たちが食べる分に回せば損をすることは無いわけです。

そもそも、幼少の清はなぜお金を儲ける方法を考えていたのでしょうか。それは、大好きな祖父から買ってもらい目をかけ大切に育てていた牛が、理不尽にも役人に連れていかれたという悲しい経験をしたからです。その原因は家が貧乏だから、貧乏を脱するためには自分がお金を稼げばいい。そのためにはどうすれば儲かるのか…?ということで、わずか12~13歳の少年が、儲ける方法についてここまで考えて行動していたということに大変驚きました。このころからアイデアを生み出すことを実践していたからこそ、やはり市村清は“アイデアの神様”と呼ばれるにふさわしい人物だったんだなと改めて感心しました。

今日のひとこと
〜市村清の訓え〜


今日のひとこと 〜市村清の訓え〜