今月の市村清
Monthly
“今月の市村清”―2023年2月編―
リコーへの社名変更
~日本から海外へ~
リコーは2023年2月6日で創業87年を迎えます。
理化学研究所が研究成果の事業化を図るために設立した理化学興業株式会社の感光紙部として出発し、その後、感光紙部を独立させ、1936年に理研感光紙株式会社として創立。市村清は代表権を持つ専務取締役に就任しました。
2年後の1938年に理研感光紙は理研光学工業株式会社と社名を変更し、そして1963年4月、現在の株式会社リコーへ社名変更しました。
“リコー”への改名にあたり、市村が当時の三愛会誌に電通のプランニングセンター主幹の小谷正一氏との対談で語っていますので、一部を紹介したいと思います。
司会 理研光学が株式会社リコーと社名を変更しましたので、それについて市村社長から経営者としての改名についてのご意見を伺いたいと思います。
市村 もともと今までの理研光学工業という名が無理なんです。光学というとカメラ関係とか双眼鏡だけに関係するわけですからね。今の売上げの比率からいきますと、事務機が40%あるいは45%くらいになります。感光紙が35%、カメラが15%ないし20%。そうすると理研光学工業という名が会社の実を現わしていない。仕事の内容も現わしていない。ですから早く変えなければと…むしろ少しおそかったと思うんですね。今日までリコーのブランドで製品を売ってきたものですから、それなら簡単に株式会社リコーとしてしまおうというわけで、実は英文は2年くらい前からリコーカンパニーになってるんです。だからもう時期の問題であった。そんなわけでこの4月1日から株式会社リコーと社名変更することに踏み切ったわけです。
小谷 実はお宅の社員の名刺は「4月1日から社名変更になります」と書いてあるんですね。こういう名刺は実は今まであまり見なかったので、もうPRが始まっているな、これは実にうまい手だなと思って感心したのです。
市村 私は大河内先生のお世話で理研に入って仕事をしてきた。ですから先生も喜んで理研という名前をくださった。リコーというのは理研光学の理と光をとって、だからブランドはリコーとしたわけですけれども、先生は生産業はやっておられたけどサーピス業はやられなかったので、サーピス業に理研という名前をつけるのは先生の意思に反するという気持ちがあったのです。先生が生きていらしたらこういう仕事にも理研をくださるといわれたかも知れない。私としてはそれは悪いと思った。それで別の名にしたのです。
小谷 株式会社リコーに社名変更というのは、理研光学という会社の伝統を生かしながら、リコーというカタカナでシンボルにもっていかれたところと、しかも三字で、長音が最後についているので横書きにしたときに絶対逆さまに読めないわけですから実にいい名前だなと思うのです。
ただ僕らの若いころの文科とか理工科とかいった、そのイメージでもって何かかたいんですね。それを英語にされたときに、Hを最後につけて、KOとしないでCOHとしてやわらかくされたところ、なかなかうまくやられたなと思ったのです。
理研から引き継がれてのリコーへの社名変更。現在、リコーグループは世界の約200の国と地域で事業を展開し、名実ともに大きくなった姿を見て、市村は何を思うのでしょうか…。