今月の市村清

Monthly

“今月の市村清”―2022年1月編―

日本のデータ通信の先駆け

—市村の熱意が法改正につながった—

新しい年を迎えて気持ちも一新、希望に満ちた一年がスタートしました。この数年、新型コロナウイルスの感染拡大により新しい生活スタイルが定着しました。働き方もリモートワークが導入され、非接触による販売方法やオンラインイベントの開催、IoTを活用したデジタル家電などはじめさまざまな分野がデジタルによって便利に変わりました。
このデジタル技術にいち早く着目したのが市村清でした。それは今から60年ほど前のこと。世の中はアナログが主流だった時代にリコーは、日本で最初に電話回線を使ったデータ通信装置を開発したのです。電話回線はもちろん専用回線も容易に架設できなかったときに、リコーは電話機の送受話器にカップリングして電話回線を利用してデータ伝送のできる画期的な装置を発表し、世間の注目を集めました。それまでのリコーはカメラ、複写機、感光紙が主体でしたが、1963年にデジタル技術分野への進出を果たしたのです。電話回線を使ってデータ伝送ができる装置は「リコープリンターフォン」と名付け、帝国ホテルでのプレス発表には大勢の記者が出席しました。

ところが思わぬ横ヤリが日本電信電話公社(現NTT)から入り、「それでなくても不足ぎみの回線なのに、データまで送るとなれば一般加入者の通信を阻害しかねない。時期尚早である。電話というものは、人間の声を送るものでピコピコだかピーピーだか知らないが、人の声以外のものを送ることは相成らぬ。」と。こういう横ヤリに正義感に溢れる市村は烈火のごとく怒って電電公社にかみつき、「こんなに便利な機械を世の中に提供しようというのだ。法律が問題なら法改正をして世の中を便利にするのが官庁の役割ではないか。これは、リコーに対する営業妨害だ。」と声高に主張。両者の攻防は1年後に準専用線という名目で専用線扱いとし、相手先を特定すればデータ通信が認められる試行運用が始まりました。
それから10年後、公衆電気通信法が全面的に見直され、規制緩和と電話回線の全面的な開放がなされました。今日の通信の全盛への先鞭をつけたのはまぎれもなくリコーだったのです。
そして、リコーは1973年に世界初の事務用高速ファクシミリ「リファクス600S」を商品化し、圧倒的なパワーブランド “技術のリコー” を国内外にとどろかせる快挙となりました。

今でこそ、インターネットが当たり前、街の至るところでWi-Fiが自由に使えます。市村は常々「事業の本質は世のため、人のために尽くすこと」を信条とし、誠心誠意情熱をもって一心に生き、日本の通信を開放することに尽力し、リコーのデジタル技術の礎を築き、その先に技術によって人々の生活が豊かになることを確信していたことでしょう。
リコー三愛グループも市村の期待に応え、「世のため人のために尽くし」、いかなる困難があろうとも、知恵と努力で乗り越え、互いに成長し合い固い絆で2022年を邁進してまいりましょう。

画像:世界初 高速ファクシミリ「リファクス600S」左から国内、欧州、北米仕様 (リコー厚木事業所 1973年)
世界初 高速ファクシミリ「リファクス600S」左から国内、欧州、北米仕様 (リコー厚木事業所 1973年)
今日のひとこと
〜市村清の訓え〜


今日のひとこと 〜市村清の訓え〜