今月の市村清
Monthly
“今月の市村清”―2020年1月編―
青年社員諸君に
転んだら、起きればいいではないか
2020年を迎えました。今年は東京オリンピック・パラリンピックが開催されるとあって、世間もかなり賑わってきました。やはり明るいニュースは我々の心を躍らせるものがありますね。
閑話休題、話は1959(昭和34)年に発行された"三愛会会誌(第24号)"に移ります。
リコーはその前年に「リコピー」を中心とした事務機・感光紙部門の飛躍的発展によって、創業以来の売り上げ記録を出したことで株主への配当が増え、市村は本誌の冒頭でその感謝を伝えるメッセージを載せました。それに加え、リコー三愛グループの中で働く30代を中心とした青年社員に向けて、市村からのエールともいうべき言葉も掲載されました。
新年の幕開けに、現在リコー三愛グループ各社で働く社員の皆さんへ、市村からのメッセージを贈りたいと思います。
―青年社員諸君に―
30代は男女を問わず、肉体的にはもちろん、精神力においても知能力においても、もっとも充実している時代である。
おそらく30代の処し方で、人生の勝敗浮沈が決まるといっても過言ではあるまい。
また、万が一失敗したとしても、再起できるという強みを持っている。失敗を基にして、成功への道を切り開くことができるのである。30代を酔生夢死に過ごしてしまうなら、敗残者の運命をたどるであろう。
上司に対し、同僚に対し、また下に対して正しいと思うこと、善なりと信ずることを勇敢に実行すべきである。
そのために、あるいは上司から生意気だと思われ、同僚から憎しみを買っても、少なくとも下の者の信頼を受けるに違いない。30代で上司にも同僚にも憎まれまいとして八方美人になるようでは、何一つできるものではない。
どだい、30代に円熟した人物になろうとしたって無理である。
そういう意味で、30代は未完成であっていい。小さく、自分を固めなくてもいいのである。
――ここで私の30代を回顧してみよう。私は、30歳のとき福岡で理研の感光紙の代理店の店主として、新しい一歩を踏み出した。文字通りの徒手空拳であった。さらに、私には何の背景もない。頼れるのは自分だけというまさに背水の陣であった。ただ前進あるのみである。
後退すれば、野垂れ死にするだけである。
私は、闘う以外になかった。
私は、勇敢に闘って闘って闘いぬいた。
その結果、理研コンツェルンの総帥大河内博士に認められ、感光紙部長として迎えられることになったのである。
ところが、異例の抜擢のために全社員の嫉妬反感を買ってしまった。
この時ほど苦しいことはなかった。何度、辞めようと思ったか知れない……が、私は苦しくても安易な妥協はしなかった。かたくななまでに自分の信念を貫いたのである。この間、私は人生の本当の勉強をすることができた。
今にして思うと、30代のあの苦闘が、今日の私の基礎になっているのである。
――30代の諸君よ…。
重ねて申し上げたい。安易な妥協はしないでいただきたい。あなたの信ずるところに邁進していただきたい。
転んだら、起きればいいではないか。つまずけば再び起き上がればいいではないか。
30代は、人生の基礎工事期間なのである。
この10年間で、あなたの運命は決定されるのである。だから、どういう小さなことにも真剣に取り組んでいただきたい。
かりそめにも要領よく世渡りしようなどという了見は捨てていただきたい。絶対に、“小利巧”になってもらいたくない。
ある意味では愚直でさえあってもいい。
ともあれ、仕事に全身で体当たりしていただきたいのである。命がけの真剣さをもってすれば、あなたは必ず人生の勝利者となるであろう。