今月の市村清
Monthly
“今月の市村清”―2018年4月編―
「闘魂ひとすじに」-わが半生の譜- を発行
市村清の著書「闘魂ひとすじに」は、1964年4月10日に有紀書房から初版本が発刊されました。
当時64歳の市村は、「自分の中に枯れ切った人間の姿を望見しようとは思わない。矛盾に満ちた現実と戦い、理想を実現しようという情熱は盛んである。残された半生を立派に無駄なく、世のために役立つように過ごしたい」と強く望んでいました。
のち本書は、“人生と経営の指南書“として高く評価され1995年三愛会で三愛新書として復刻しました。
貧乏で、ろくに学校にも行けず、どん底の生活に沈んでいた少年が、10社を超える会社の最高責任者という地位を築いたサクセスストーリーの秘密とは何か?
市村は言う。その秘密はただ一つ、“闘魂”である、と。
昭和2年、市村27歳のとき、上海での150日間の監房生活からようやく解放され帰国の途へ。勤め先の銀行はつぶれ、一介の素浪人となった市村は久しぶりに故郷へ帰ったが、おいそれと就職口はない。両親や弟妹を抱えている立場ゆえ、とうとう保険の外交に手を付けてみようと思い至りました。
大変な商売だと親戚からは心配されたが、任地の熊本へ向かいました。そこではたった一台の自転車が財産の全てでした。来る日も来る日も朝8時から夜10時頃まで、学校の先生、お医者さん、地元のインテリ層を狙って保険募集(勧誘)を進めたがうまく行かない…
はや60日経ち、ひと口もまとまらない。むろん収入はゼロ。同じところにお百度を踏むが、「あっ、またあのノッポの保険員が来たわよ!」と若い娘さんに聞こえよがしに言われ、つくづくいやになってしまいました。
保険募集を始めて68日目、精も根も尽き果てて市村はついに妻の前でうなだれ「東京へ夜逃げしよう…」と弱音をはいたのです。
「お辛いことはわかりますがひと口くらいはとってください。あなたの経歴に一つも成果のなかった仕事があったことになるのが悔しくありませんか。夜逃げするつもりなら外聞なんてどうでもいいじゃありませんか」と妻の言葉。
市村はその時、わずかに残っていた意地と闘志をかき立てられたといいます。
「それもそうだ。東京へ逃げるなら暮れも晦日もない、よし大晦日の10時まではやり続けよう!」と思い直し、それがまた一つの壁を突き破る動機になったのでした。
翌日、69日目にして市村は初めて保険契約を成立させたのです。
1964年4月発行
本書で市村はこう語っている。
「自分の人生を通じて到達した一つの信念は人生を生き抜こうとする闘魂が燃えている限り、その人間の行く道をさえぎる何物もないということだ。私の体験記を一貫して流れる真理があるとすれば、それはどんな逆境にあっても光を見失わず、闘魂ひとすじに闇の壁を破ってきたということに尽きるだろう」
自らの人生を顧みるという思いでつづった『闘魂ひとすじに』には、市村の数々の体験談も加えられ、感慨深いものとなっています。
人生哲学のバイブルとして、手に取ってみませんか?