今月の市村清
Monthly
“今月の市村清”―2018年3月編―
悪ガキだった清、実は学校始まって以来の秀才!?
小学校時代の市村清は先生も手を焼くガキ大将、半面、入学から卒業まで首席を守った優等生でした。
小学校時代の清はリーダー格の少年で、いたずらもしばしば。そこには清なりの正義感もあったのですが、それがまた先生たちを怒らせる結果となっていました。例えば……
4年生のある日の習字の時間。授業が終わり、残りの墨汁をバケツに集めていた先生の洋服に、清のすずりの墨汁がはねてしまったのです。
「こら、なにしよる!」、カッとなった先生のげんこつが飛んできました。
「わざとじゃなかとです!」、清は教室を飛び出して、村をブラブラ。そんなときに、床屋のおやじさんから声を掛けられました。
「おや、清。学校はどうした?」
「うん、ちょっとね……」
「まあ、暇なら将棋ばせんか?」
清は初めての将棋に夢中になり、それから数日間は学校に行かずに床屋通い。
もちろん学校にも親にもばれて、こっぴどく叱られることになるのですが……。
6年生の国語の時間。運動場から聞こえてくる軍歌に耳を傾けているうちに、つい大声で歌い出してしまいました。
「りょうようじょうとう よはふけて~♪」(遼陽城頭 夜は更けて~)
はっと気付いたときにはもう遅い。先生がものすごい顔をして近づいてきます。そして、ピューッと音をたてて、むちが飛んできました。
清がとっさに身を沈めると、むちは隣の子に命中。教室は大騒ぎになり、先生は怒り心頭。たまらず教室を飛び出し、夢中で逃げましたが、先生はどんどん追い掛けてきます。切羽詰まった清は自分が渡った丸木橋を、先生が渡る瞬間に外したのです。
“バシャーン”、水音を後に聞きながら、なおも逃げ続けました。
やはり6年生の体操の時間のこと。
「前へ進め」。清たちは先生の号令で歩き始めました。そこへ、用務員さんが来て、急用を告げたのか、先生は「止まれ」の号令を忘れて、その場を離れていきました。
清たちは、校庭の端まで歩いていき、小川の前で止まって先生を待っていました。
ところが間もなく戻って来た先生に、「誰が止まれと言った!」と一喝されたのです。
数日後、同じことが起きました。
今度はみんな、小川をジャブジャブと渡り、裏山に向かって直進。
「お前たち、何をしちょる!」
「止まれと言われなかったので、真っすぐ進んできました」
「へ理屈を言うな、みんなそこに並べ!」
先生は長い竹竿を持っています。足を殴られると直感した清は、「飛び上がれ!」と、みんなに合図。空振りした先生は、勢い余って大尻もちをついたのでした。
小学校時代の清の日常はこんな感じでしたが、成績は優秀で1年から6年までずっと1番。けれども、貧しさゆえに、中学進学はあきらめていました。
ところが、卒業間近になって事態は急変。担任の先生が両親を説き伏せてくれたおかげで、難関の県立佐賀中学を受験し、見事合格。伯母の援助を受けて、進学することになったのです。
1913年、春のことです。