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三愛会の機関誌として1954年に創刊した三愛会会誌。創業者・市村清の思想をはじめ、会員会社の動向や社員同士のコミュニケーションツールとして発行されてきました。 「会誌すくらっぷ帖」では、今までに会誌に掲載した記事の中で、特に人気の高かったものや、発行時の時代を反映した興味深い記事を厳選して紹介していきます。
市村清が生前に親しくされていた俳優・中村メイコさんが昨年末に急逝されました。メイコさんは2歳の時に子役でデビューして以来、長きに渡り第一線でご活躍されました。市村とメイコさんの出会いは番組出演がキッカケでした。幼い頃から芸能の世界で育ったメイコさんにとって、事業家の市村は稀有な存在であったかもしれません。市村が他界したあともメイコさんはたびたび、リコーグループの式典や市村賞の授賞式等にご出席くださいました。三愛会会誌の「市村清生誕百年記念号」にも生前親しかった皆様に懐かしい思い出を寄稿いただきました。今月は中村メイコさんを偲び、「永遠の“ヌーボー”です 市村清サンは・・・」と題したメイコさんの寄稿を紹介します。
2000年に発行した、「市村清生誕百年記念号」の表紙は漫画家・清水崑氏に似顔絵として描いてもらったオリジナル作品なんだよ。
メイコさんの父上はボクのことを日本の財界のヌーボーと表したそうだ。僕らは番組出演をキッカケに公私ともに親しくなれたんだ。ボクの堅苦しい部分もメイコさんは紳士と思ってくれたみたいだね。長い間、おつかれさまでした。
市村がこの世を去って55年。生前の市村を知る方たち、縁あった方たちも徐々に旅立ってしまいました。彼らにとって、市村清はどのような存在であったのか知る由もありませんが、苦労して一代でリコー三愛グループを築いた市村清のことをいつまでも忘れずに覚えていてくれたのだとしたら、それだけで十分かもと思います。
市村がこの世を去って55年。生前の市村を知る方たち、縁あった方たちも徐々に旅立ってしまいました。彼らにとって、市村清はどのような存在であったのか知る由もありませんが、苦労して一代でリコー三愛グループを築いた市村清のことをいつまでも忘れずに覚えていてくれたのだとしたら、それだけで十分かもと思います。