会誌
すくらっぷ帖

Past feature articles

三愛会の機関誌として1954年に創刊した三愛会会誌。創業者・市村清の思想をはじめ、会員会社の動向や社員同士のコミュニケーションツールとして発行されてきました。
「会誌すくらっぷ帖」では、今までに会誌に掲載した記事の中で、特に人気の高かったものや、発行時の時代を反映した興味深い記事を厳選して紹介していきます。

三愛会会誌59号・市村清追悼号(1969年発行)

今年は市村清没後55年の節目の年です。
1968年12月16日午前7時13分、市村は急性肝萎縮症のためこの世を去りました。葬儀は、12月20日午後1時から、三愛会各社の合同主催により東京の築地本願寺で執り行われました。今回はこの時の葬儀の様子や、葬儀委員長の石坂泰三氏、友人代表の佐藤栄作氏による弔辞、社員代表による追悼の言葉をご紹介いたします。

59号PDF版(抜粋)を閲覧する(PDF 27.1 MB)

この追悼号には、ボクが生前お世話になった人や友人、妻の幸恵たちによる弔辞がたくさん寄せられているんだ。三愛会の皆が全力で追悼号を編集してくれたんだよ。ボクの遺影も載ってるんだけど、このページに使われた紙は石油から生まれた画期的新製品の合成紙を使用してるんだ。この紙が第1回の「市村賞」の本賞を受賞したんだよ。

築地本願寺では、19日に通夜が20日には本葬が行われたんだけど、晴れ男のボクには珍しくお通夜の日は雨が降っていたんだって。皆が悲しみの雨だって言ってたみたい。晴天になった本葬には、7,000名を超える会葬者の方々が来てくれて境内に収まらず歩道にまで列が出来てたんだって。

ボクの亡骸を乗せた霊柩車は、20日に築地本願寺へ向かう際、リコーの本社前を通ったんだけど、その時は社員の皆が歩道に出て見送ってくれたんだ。弔電はマイアミ市長や政界の人たちなどから、3,000通に及んだそうだけど、葬儀の後に行われた告別式では三笠宮宣仁親王殿下はじめたくさんの人が献花をしてくれて本当に有難かったです。

葬儀委員長はボクの師でもあり友でもある石坂泰三氏が引き受けてくれたんだ。『「三愛主義」という人道的な哲学と実践は、君の辛酸を舐めた人生に、人情の機微に触れる機会の多かった事の賜物』だと弔辞で述べていただきました。

さらに友人代表として当時内閣総理大臣だった佐藤栄作氏、そして、ボクの故郷・佐賀県民代表として、当時佐賀県知事だった池田直氏からも弔辞をいただきました。多くの人に冥福を祈ってもらえたボクは本当に幸せ者です。

従業員代表として本葬に来てくれた菊地栄之助さんからは、ボクの経営理念や精神を受け継ぎ、全力をもって世界一の優秀企業として発展させることを堅く誓います!という力強い言葉をもらいました。この言葉を聞いて、ボクの築いてきた市村産業団は、若手社員がしっかり守っていってくれると確信したんだ。

葬儀には他にも、運輸大臣原田憲氏や衆議院議員三木武夫氏、オーストラリア大使サー・ブラウン氏、日銀総裁の宇佐美洵氏、俳優の森繫久彌さん、司葉子さん、作家の石原慎太郎さんなど政財界や芸能界はもとより各界の名士・知人の人たちが来てくれたんだ。そして最後に、ボクを終生支えてそばにいてくれた喪主の幸恵に心からの感謝を伝えたいと思います。

今日のひとこと
〜市村清の訓え〜


今日のひとこと 〜市村清の訓え〜