今月の市村清
Monthly
“今月の市村清”―2019年1月編―
支店長代理の結婚
見えてきた経営者的才能
“今月の市村清”の2018年9月『心機一転、大陸渡航』の回で触れましたように、結核(肺疾)にかかった市村は自分の力試しと病気根治のため、1921年、空気の澄み渡った北京の新しい合弁銀行に赴任しました。
しかし、北京勤務は1年ほどで、その後満州一の経済都市である上海の分行へ移りました。上海分行で市村はようやくその経営者的才能を見せはじめます。
当時、上海分行では預金がなかなか集まらない状況でしたが、市村は「彩票」という富くじ付きの債券発行を思いつき、売り出しました。一種の宝くじのようなもので、これが中国人の射幸心を刺激して、預金集めは大成功。
このような活躍で彼はたちまちに頭角を現し、上海異動後1年で取締役支店長代理にまで昇進しました。
上海という街は華やかで誘惑も多いでしょうから、普通なら少しくらい羽目を外してもよさそうに思うのですが、市村は昇進した後も享楽には一切目もくれず、相変わらず仕事と読書に明け暮れる毎日を過ごしていました。
そんな市村を心配して、共栄貯金銀行の小出頭取は頻繁に北京や上海へ視察に来ていました。そして、幾度となく市村と接しているうちに、若さに似ない真面目さと切れ者ぶりにすっかり惚れ込んでしまい、何とかこの有望な青年に良い嫁を世話したいと考えるようになります。
そこで小出頭取が見つけてきたのは、上海中心街で大きな病院を経営している松岡玄雄(まつおか はるお)氏の末娘・幸恵(ゆきえ)でした。
ところが、幸恵には他の縁談話が進んでいたことに加え、結婚そのものに踏み切れない気持ちがあったことで、この話はなかなか進みませんでした。市村も結核を患った過去がありましたし、さらに双方の実家の不釣り合いを気にしていました。
小出頭取は思い切って市村と幸恵の見合いの場を設定しましたが、幸恵は髪を洗ってしまったことを口実にわざと欠席するあり様でした。
一計を案じた小出頭取は、助っ人として北京大学教官の山口四郎を巻き込みました。山口は市村の北京勤務時代に乗馬を教えるなど交流のあった人物で、市村の嫁は自分が決める!と意気込んでいました。
そのため山口は1924年の夏休みの間ずっと上海にいて、40日間にわたり松岡病院と市村のいる大東銀行上海分行を往来し結婚を説き続けました。
ある時、市村は風邪のため松岡病院で診察を受けることがありました。
以前から何度か市村を診察し、山口から市村の才能や真面目さを熱心に説かれていた松岡は、次第にこの男ならと思うようになっていたので、ついに娘の幸恵を妻にもらってくれる気はないかと切り出しました。市村が肺疾の不安を打ち明けると、松岡は全快していると伝えました。この一言で市村の気持ちが動いたのです。
一方、山口の熱心な説得で幸恵の気持ちも傾いていました。市村とデートを重ねるうち、「ユーモアがあって頭の回転の速い人」と好感を持つようになっていました。
こうして、縁談はめでたく整っていったのです。
挙式は1925年1月26日、永安公司という上海で一番大きな結婚式場で行われ、仲人には上海郵便局長の中林賢吾夫妻が立ち、小出頭取や山口も列席し、大勢の方々に祝福されました。
貧乏ゆえに中学を中退し、野菜の行商、見習銀行員、肺疾という暗い青春期を過ごした市村は満州で銀行幹部にまで昇進し、この結婚でようやく心身の健全さを取り戻したと自信を持てるようになりました。
しかし、幸せな二人にこの先、波乱な出来事が次から次へと襲ってくることになりますが、その話はまた別の機会に。