会誌
すくらっぷ帖

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三愛会の機関誌として1954年に創刊した三愛会会誌。創業者・市村清の思想をはじめ、会員会社の動向や社員同士のコミュニケーションツールとして発行されてきました。
「会誌すくらっぷ帖」では、今までに会誌に掲載した記事の中で、特に人気の高かったものや、発行時の時代を反映した興味深い記事を厳選して紹介していきます。

三愛会会誌18号(1958年発行)

2025年、今年はリコー三愛グループ創業者・市村清の生誕125年目となる節目の年です。
そこで、三愛会では今年1年を通して「市村清生誕125年」をキーコンセプトに、さまざまな活動を展開してまいります。“会誌すくらっぷ帖”でも、人間・市村清のさまざまな表情が分かるような誌面を紹介していきたいと思っています。
2025年2月編は、1958年に発行した18号の中から、市村が理研光学工業の前身となる吉村商会を始めた頃の思い出を語った『もっとも苦しかった時の憶い出』を紹介いたします。貴重な体験談となっていますので、ぜひご一読ください。

18号PDF版(抜粋)を閲覧する(PDF 31.2 MB)

1958年に発行した18号は、『理研光学工業株式会社増築落成記念号』として発行されたものだよ。この年は理研光学工業本社に新館が増築されて、大ホール(初代大森ホール)も落成した年なんだ。
記念パーティーには千人を超える人たちがお祝いに駆け付けてくれたんだよ。大ホールのこけら落としではボクたち夫婦が能の「猩々(しょうじょう)」を社員たちに披露したんだ!

『もっとも苦しかった時の憶い出』は、1958年3月1日、大森理研光学倶楽部での写真機・紙業部のセールスマン懇話会でボクが語った体験談を誌面に起こしたものなんだ。社員から理研光学工業の前身となる吉村商会の頃の話が聞きたいと言われて、上海から引き揚げて来て熊本で保険勧誘員を始めた時から、理研感光紙の代理店の権利を吉村商会から譲り受けて販売を始めた時までの話をありのまま語ってみたよ。
ボクがいろんな苦労を乗り越えて頑張って来れたのは、人間のまごころと努力と熱というものは必ずいかなる人をも動かし悪条件を克服して立派に実るということ。

いかがでしたか。熊本での保険勧誘の話や吉村商会を始めた時の話は市村の著書や本サイトの“市村清の功績”、“私の履歴書”のコンテンツなどでも度々紹介していますが、市村本人の語るエピソードはさらに真に迫るものがあります。
懇話会では、市村が当時を思い出し声を詰まらせる場面もあったとか。また、追力に満ち感激に溢れた内容に社員たちの中には涙するものもいたそうです。
市村清はこの体験談を通じて、いかなる場合でも人間は正しくなければいけない、目先の要領だけよく、
一時はいかにもうまくいっているように見えてもいつかそれが暴露されてしまう。あくまでも正しく、真心をもってたゆまぬ努力と熱をもって突き進んでもらいたい、と社員たちにメッセージを伝えています。