三愛会会誌171号
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 1946年夏︑銀座4丁目角にオープンした﹁三愛﹂︒それから10余年を経て建物が老朽化したことから︑市村清は建て替えを決めました︒建て替えるなら︑銀座にふさわしい︑世界に誇れるものにしたいと︑設計を託したのが林昌二氏︵日建設計︶でした︒林氏は︑皇居のお堀端に立つ﹁パレスサイド・ビルディング﹂や﹁中野サンプラザ﹂などの設計者としても知られています︒  林氏は︑市村の要望であるガラスの円筒形ビルにプラスして︑天井に光のリングを巡らせ︑全体が光で照らされるビル︑すなわち﹁光の塔﹂を造ることを提案しました︒  着工は1961年5月︑地下3階︑地上9階︑屋上のネオン塔を入れると地上48mの高さになる総ガラス張りの円筒形ビルの建設が始まりました︒上から下へ造る・・・・驚きの工法建設当時を振り返る 39階に続いて、4階で組み立てられたドーナツ状の床が8階までつり上げられて固定され、さらに7階‥‥。床は一般的な工法とは逆に上から下へと出来上がっていった。 この工法は、世界の建築界の注目を集めた。10月末、ガラスが入り、いよいよ完成に近づく。 全館ほとんど完全な不燃材で造られ、火災の危険を防いでおり、ガラス張りで不安そうに見えるにもかかわらず、地震・火災などに関しては大規模な実験を行い、安全性を確保した設計となっている。※市村清が三愛ドリームセンターの建設を決断した時から円筒形総ガラス張りビルになるまでの経緯についてはp9~10の「市村清物語」をお読みください。ビル全体は中央のコア(柱)1本だけで支えられ、ほかに柱や梁を使わない特殊な構造で成り立つ。  まず4階まで鉄骨を組み、さらに屋上階までの中央の円筒コアを建て上げる。次に、別工場で作られた24等分のコンクリート製の部材が4階床の位置で組み立てられ、ドーナツ状の床が造られる。 最初に造られた床板はウインチで屋上階の床の高さまでつり上げられ、固定される。 1962年5月19日、最初の床のつり上げが行われ、見守っていた人たちから歓声が上がった。6月末、ネオン塔の骨組みが終わり、サッシの骨格もついた。 ビルの名称が公募され、「ビルの名をつけて下さい」という横断幕も掲げられた。6月、骨組みがほぼ完了し、円筒の形が見えてきた。

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