三愛会会誌171号
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創業者・市村清物語 御挨拶 ﹁日本一のこゝに  世界一の珍しい 建物を新築して  観光日本の 一助に資し度い﹂ と云う念願のもとに 五月一日より  新築に着工致します  十五年間の御愛顧を 深謝申上げると共に 建築中の御不便を お詑びし併せて 明年十月新築開店後の 一層の御支援御高庇を 御願い申上げます︒ 昭和卅六年四月  社 長 市村 清市村清と ﹁三愛ドリームセンター﹂差点にオープンした﹁三愛﹂︒当初は食料品から衣料品や文房具︑貴金属まで何でも適正価格で販売する百貨店でしたが︑その後︑女性ファッション専門店へと業態をチェンジして︑繁盛を続けていました︒  しかし︑開業10周年を過ぎた頃から︑建物の改築を考えなければならなくなっていました︒銀座の復興が急テンポで進み︑終戦直後は軒並み1階建てのバラック続きだった表通りには︑次々と豪華なビルが建ち始めていましたし︑何より三愛の木造2階建ての建物は︑お客さまの多さに多少危険にもなっていたからです︒  おしゃれの店﹁三愛﹂の衣替えをどうするか︒  ■アイデア社長■として世間に知られた市村にとって︑これは自身の力量を問われる大きな課題であり︑それからの数年間は︑三愛の改築にありったけの情熱と意欲を注いだと言っても過言ではありません︒ 木造建物の老朽化 でした︒何とか敷地を広げようと隣の洋品店と交渉してみましたが︑銀座の一等地のことですから︑相手は首を横に振るばかり︒結局はあきらめて︑65坪を基礎に考えることにしました︒  しかし︑これからの高層ビル時代に3階や5階のものでは仕方がないし︑8階︑9階のものにしようとすれば︑柱を太くしたり︑エレベーターやエスカレーターを設置したりで︑売り場のスペースがほとんどなくなってしまいます︒貸しビルにしたとしても︑駐車場もない高家賃のオフィスを借りる人がいるとは思えません︒実用の面から検討すると︑まさに無い無い尽くしで手のつけようがありませんでした︒  そこで市村は︑﹁銀座のど真ん中﹂という宣伝価値を土台に構想を練ることを決心しました︒  何と言っても日本一の地の利の場所です︒ここに国内はもちろん世界にも類のない建物を建てよう︒市村の﹁夢の殿堂造世界に類のないビルを建てる 法隆寺の五重塔がヒント り﹂がスタートしました︒  建設現場の板囲いに︑市村の挨拶文が大きく掲げられました︒︵写真右︶  ■世界一珍しい建物とは一体どんなものだろう■︑街の人たちはビルが出来上がっていく様子を毎日ワクワクする気持ちで眺めていました︒新ビルは完成前から既に宣伝効果を上げていたのです︒ 長い円筒ビル﹂を建てようと思いついたのは︑奈良・法隆寺の五重塔がヒントになりました︒  たまたま奈良を旅行していて法隆寺を参観した市村は︑五重塔全体が真ん中の1本の柱で支えられているのに気づき︑しばらく動くことができませんでした︒■五重塔の特殊な工法で︑狭い敷地に細長い塔のような建物を造れないだろうか■︒世界最古の木造建築物が頭の中でぐるぐると回り始めたのです︒  最初は真ん中に太い柱を立てて建物全体を回す仕掛けを考えました︒お客さまを動かさずに︑円形のガラス張りの店そのものを動かしてみようというわけです︒  ところが︑設計者に聞いてみると︑建物を回すことは法規上許されていないとい9  株式会社 三愛  この狭い一等地に﹁総ガラス張りの細  1946︵昭和21︶年夏︑銀座4丁目交  三愛の建坪はわずか65坪︵約215㎡︶

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