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今月の市村清

“今月の市村清”―2018年2月編―

私の履歴書
波乱万丈の生きざまは、多くの人々に感銘を与えた

画像:私の履歴書

今月は日本経済(日経)新聞に掲載されている「私の履歴書」についてのお話です。

日経新聞が掲載を始めたのは、1956(昭和31)年3月1日からでした。

「私の履歴書」は政・財・文化・スポーツなど各分野で功成り名を遂げた人物による連載で、2018年1月までに延べ821人の方々が紹介されています。

市村清も122番目の執筆者として登場しました。

1962(昭和37)年2月21日から3月20日までの28日間。育てた牛を連れ去られたところから羽田空港における給油の権利取得まで、市村は自身の半生を披露しています。

この連載は大きな反響を呼びました。

市村清の波乱万丈の人生行路は、事実が訴える力を持ち、人々に大きな感銘を与えたのです。新潟のある金物問屋では朝礼時に「私の履歴書」が読み上げられ、新聞の切り抜きがまた回覧されるほどの熱心さで、従業員全員の読後感想文が寄せられました。

画像:おー来たか待ってたぞ

――『全編を通じ、ただもう感激のほかなく、特に中国より引き揚げ後熊本における保険外交員としてご活躍の記事にいたって感激の頂点に達しました。』

『小生も貧弱な町工場の経営で苦難を経てきた積りですが、貴殿に比すれば物の数ではありません。貴殿の履歴書に大いに励まされました。』

『今まで各界名士の履歴書を読みましたが、遠い世界の出世コースのようで縁遠く思っておりました。しかし、市村社長の半生は私達のような若い者にとって世に処する道を教えられることが多く大変有益でございます。』など全国から感嘆や感謝のメッセージが届きました。

実はこの「私の履歴書」、市村清が話す中身を原稿にまとめるという口述筆記として作成されました。ライターは「茨と虹と」著者の尾崎芳雄氏で、前職は日経新聞社勤務でした。氏は「茨と虹と」のあとがきにこう述べています。

『僕が市村さんに会った最初は、(日経新聞)社の指示で市村さんに自伝を書いてもらうことを頼みに行ったときであった。昭和36年の秋で、僕は文化部の仕事をしていた。市村さんは超多忙のうえ、戦前交通事故で重傷を負ったとき右手の指を痛めてから、自分でペンをとるのも億劫だったらしく、話を聞いてこっちで原稿をまとめることにした。延べで十数時間、感情を込めて語る市村さんの追憶談は、血を湧かせた。掲載したのは翌年2月。俗流にいうと大いにうけた。』

「茨と虹と」と内容は重なりますが、「私の履歴書」は市村清オリジナルな文章で綴られています。こちらに掲載していますので、ぜひご一読ください。