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今月の市村清

“今月の市村清”―2018年9月編―

心機一転、大陸渡航
―波乱万丈の人生はここから始まった―

画像1:1922(大正11)年、北京に向かう前に弟たちと(生家前にて)

1922(大正11)年、北京に向かう前に弟たちと(生家前にて)

「このままではだめだ。もっと勉強しなければ!」。

猛烈な向学心が火のように燃え上がり、その彼方に東京という華やかな都会の姿が浮かびはじめました。

――東京へ行けば職も好き嫌いを言わなければ何とかなるかもしれない、勉強しようと決心すれば夜学だってあるのだ、思い切って東京へ出よう!――

市村清、19歳。青雲の志を抱いて、故郷を後にしたのです。

上京から1年。清は義兄の原口英雄の口利きで就職した共栄貯金銀行の東京本店で働きながら、中央大学夜間部に通う日々を送っていました。

そんなある日、大学で聞いた講義に電気で打たれたような衝撃を受けました。その内容は、「資本主義の内部にある矛盾と不合理から貧富の差が激しくなり、それを改革するために共産主義が起こった」という極めて一般的なものでしたが、清自身も辛く貧しい幼少期を過ごしてきたせいか、たちまち共産主義の虜に…。

一日中部屋にこもり、共産主義に憑かれ、ついに銀行も無断欠勤するようになりました。やがて、身も心もボロボロになって歩いていたところを偶然通りかかった姉のタイが見つけ、その足で医者に診せると、結核に侵されていました。

こうなると、共産主義どころではありません。“このまま自分は死ぬかもしれない…”という恐怖が襲い、捨て身になった清は、寒さがこたえはじめた初冬の早朝にシャツ一枚という軽装でマラソンをし、冷水を浴び、乾布摩擦をするという抵抗療法を毎日強行したのです。

画像2:1922(大正11)年、北京にて(22歳)

1922(大正11)年、北京にて(22歳)

荒療治のおかげか、すっかり健康を取り戻し、いつしか心の苦しみからも解放された清は、勤めていた共栄貯金銀行が北京に日中合弁で銀行を新設するという話を耳にしました。

「よし、大陸へ行ってみよう」。そう決心し、頭取に北京への異動を申し出ました。空気の乾いた地で病気を根治させたいという思いもありましたが、それよりも新たな夢が膨らみ、心は大陸の空へと飛んでいたのです。

こうして1921(大正11)年9月、清は新設された大東銀行の会計係として赴任すべく、東京を後にしました。

大陸渡航の出来事は、清にとって大きな転機となりました。ここから上海分行への転任、支店長代理や取締役への昇進、幸恵との結婚と順調な人生を送っていきます。しかしその後、金融恐慌によって銀行が閉鎖、横領容疑で150日間にわたる監房生活と、いばらの道が市村清を待ち受けているのです。このお話はいずれまた。