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今月の市村清

“今月の市村清”―2017年10月編―

1944(昭和19)年10月、三愛会の前身「自蹊会」が発足。
―当時の会員会社7社、その経営権は「自蹊会」にあった!―

画像:1944『自蹊会会報』発行/自蹊会会則

1944年10月、市村清は自身が代表を務める7社の相互間の絆を強め、親睦を深めることを目的として「自蹊会」を発足させました。

市村はその趣旨を“本会は構成各社相互の有機的結合を強固ならしめ、併せて各社従業員相互の親睦を圖(はか)り産業報国の實を擧(あ)ぐるを以て目的とす”とし、同時に各社の現状や上長の方針を社員が認識し、親睦と信愛を深め全社員一丸となって社業に徹するためのツールとして『自蹊会会報』を随時発刊することを決めました。

この『自蹊会会報』がのちの『san-ai』となり『三愛会会誌』となって、今も会員各社間・社員間の親睦を深め、それぞれを横軸でつなぐ役割を果たしています。

今のようにメールやSNS等で瞬時に連絡が取り合える時代と違い、戦時中の日本における会社間・社員間の意思の疎通は容易では無かっただろうと想像できます。

「自蹊会」は市村清が代表を務める関連会社7社から成り立っていました。その7社はというと…。

  • 理研特殊製鐵株式会社
  • 理研光学工業株式会社
  • 旭無線株式会社
  • 東洋特専興業株式会社
  • 理研化学工業株式会社
  • 朝鮮理研感光紙配給株式会社
  • 飛行機特殊部品株式会社

聞き慣れない社名ばかりですが、当時は決戦のための航空機や鉄鋼資材を生産している会社もあって、政府から軍需会社に指定された会社や中には大陸への事業進出の実態を感じられるものもあります。

この中で現存する会社は、のちに社名をリコーに改めた理研光学工業のみです。(それぞれがどんな会社だったのかは、追々、出来る限りご紹介していきたいと思います)

また、「自蹊会」の役割は今の「三愛会」とは少し違って、7社すべての経営に関する意思決定は自蹊会が行っていました。その決裁権は会長の市村清に委ねられていましたが、各社役員の昇任や社員の人事異動についても自蹊会で協議し、決定していたのです。

今でいうホールディングカンパニーのような形だったと思われますが、この時代にこのような体制を執っていた会社陣営は他ではなかったのではないでしょうか。ここからも市村の「先見の明」をうかがうことができます。

画像:1942~1943戦争中の服装

73年前の10月。空にはまだ敵機が襲来し、いつ命を落とすやもしれない最中にあっても、市村は社員やその家族のことを思い、また社員はそれに応えようと必死に働きました。『自蹊会会報』には、当時の様子として全社員が休日を返上し昼夜を問わず増産目標を達成したという記事が載っています。