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今月の市村清

“今月の市村清”―2018年5月編―

限りなく人を愛した、涙もろい市村清
市村遺児育英会 5月22日 発足

1961年1月、三愛石油の庶務課長だった佃正人さんがガンで亡くなられました。

渋谷の長泉寺で営まれた葬儀に参列した市村清は、まだ幼い息子さんがお父さんの祭壇の前で小さな手を合わせ合掌している健気な姿を見て、涙が止まらなかったそうです。

葬儀から帰社するなり、市村清は秘書を呼び「佃くんに子供は何人いるのか」

「女の子一人、男の子一人です」

「これから困るだろうから、僕が学資の面倒をみる」と言って涙ぐんでいたそうです。

それほどに市村清は情に厚く、三愛精神、特に“人を愛す”を地でいく人間だったのです。

画像1:市村遺児育英会 5月22日 発足

同年2月、三愛会ではさっそく遺児育英会発足のための草案作りに取り掛かりました。市村が自費で育英資金を支えるという趣旨のもと、その後開かれた市村同席の理事会で承認、決定されました。

適用第一号は前述の佃さん一家に加えてもうひと家族。

5月22日、会長室で遺族らに市村清から直接育英金が手渡され、正式に「市村遺児育英会」が誕生しました。

当初は小中学生に月額2,000円、高校生に月額3,000円を支給するというものでした。当時、大卒の初任給が14,000円ほどだったことを考えると、月給の15~20%に当たる金額が市村育英金として遺族に支給されていたことになります。

1964年、制度の恒久化を理由に市村清の自費から三愛会会員企業の会費による運営に切り替えられ、支給対象者の要件・対象者別の支給額・支給期限など育英会規定も改訂とともに詳細が整備され、育英会の輪郭がさらにはっきりとしたものになりました。

これらは創業者市村清の全従業員に対する深い愛情と責任感に立脚した信念、そして『働くことに何の心配もつきまとわない 世界のどこにも類例のない独特の市村産業団を作りたい』という願いが現れたものにほかなりません。

そして、1996年から育英会は支援対象者に障がい児を加え、奨学金の貸与も行うなど拡大され、子供たちの成長を力強く支援してきました。

しかし、近年愛の手募金活動への一本化が検討され、それ以外の施策は各会員会社の制度に委ねることになり、育英会の役目は今年度で終わりを告げることになりました。

発足から今年で57年。育英会の対象者は延べ7,600人、総額7億円におよびます。今では子どもたちも大人になり、世界のどこかで仕事を愛し、その国を想い、そして隣人を愛しながら世の中のために活動していることでしょう。

最後に心温まるお礼の手紙を紹介します。

画像2:お礼の手紙
画像3:お礼の手紙

リコー三愛グループでは創業以来、愛の伝統が流れているのです。