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今月の市村清

“今月の市村清”―2019年4月編―

無から有を生む
―監房生活150日という最低の生活環境にあっても工夫次第では物を作り出せる―

画像:1922(大正11)年、北京にて(22歳)

1922(大正11)年、北京にて(22歳)

今月は、市村が熊本・佐賀で保険外交員になる前のお話です。

上海へ赴任して4年あまりが過ぎた頃、日本は第一次大戦や関東大震災の復興手形で肥大化した経済を調整できず、1927年春、ついに破綻し昭和の金融恐慌に陥ったのです。日本国内は取りつけ騒ぎなど大混乱。

親会社である共栄貯金銀行があおりを受け倒産したため、市村の勤務する大東銀行も即座に閉鎖となってしまいました。市村は仕事や生活の基盤を全て一瞬で失い、それまでの幸恵夫人との平穏な新婚生活から突如厳しい現実に突き落とされたのでした。

そこへ追い打ちをかけるような出来事が・・・。

銀行閉鎖の整理事務に忙殺されていた4月13日早朝。上海領事館司法部に寝込みを襲われ、そのまま逮捕されてしまいました。容疑は横領。銀行閉鎖により日本への送金が不可能なのに、日本人預金者から送金依頼を受けていると疑われたのです。“銀行責任者が横領したお金を日本に持ち帰った”との噂も流れていました。

全く身に覚えがないため何も答えない市村を、司法当局は黙秘しているのは何かあるに違いないと考え、取り調べは熾烈になり、思いがけず5か月間も監房生活を送ることになってしまいました。

しかし市村はすっかり腹を括り、この時ばかりと読書三昧の日々を送ることにしたのです。面会に来た妻に頼み、経済・宗教・哲学・人物伝などの書物の差し入れを5、6月は熟読していましたが、7月になると独房の中はさすがに蒸し暑く、頭がぼんやりと読書も疎遠になっていきました。

その頃、犯罪容疑者の数が急に増え、市村の独房にも3人の男が収容されてきました。

独房は賑やかに、さらに暑くなりましたが、密輸の嫌疑でつかまった3人は悪い人間ではないらしく、いつの間にか市村を「先生」と呼び親しくなっていきました。

ある日、退屈を持て余していた男たちが何か退屈しのぎの手はないかと訊ねてきました。その時、市村の頭に閃いたものが「将棋」でした。さっそく独房内を見回しながら想を練りました。何もないところから何かを考え出す興味、与えられた条件の中で最高のアイデアを探す面白さ。市村は目を輝かせていました。

将棋盤は長方形の木枕。駒はトイレットペーパーの芯の厚紙を週に一度の爪切り時にはさみで駒の形に切って作りました。線や文字を書く墨はどこからともなく舞い降りてくる煙突の煤を集め溶かして作りました。そしてとうとう一組の将棋の道具が完成したのでした。

市村は後年、こう語っています。

「もう絶体絶命だと諦めず、冷静に考えれば打つべき手はまだ残されているのです。」

しかし、退屈しのぎの将棋は看守に見つかってしまい、罰として市村は南京虫を身体に這わせるという拷問を受けてしまいました。それでも、容疑についてはひと言も口を割らないで頑張り通したのです。

保釈となり監房生活から解放された時には外はすっかり秋風が吹いていて、その後直ちに開かれた公判で無法にも懲役1年6か月の有罪判決を受けました。

市村はすぐに日本へ帰国して、控訴の手続きをし、11月にようやく無罪の判決を長崎地裁から獲得したのでした。

市村の生活はまた、「0」からのスタートとなったのでした。

画像:無から有を生む

まんが・市村清物語」より出典