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今月の市村清

“今月の市村清”―2019年9月編―

世界一周旅行の収穫
―カメラの国際見本市 フォトキナ初出展―

市村は、民間人としては戦後の早い時期に世界一周の旅をしています。

初めての世界一周は、1951年6月にスイスで開かれたMRA(Moral Re-Armament)の世界大会に日本人60名が招待され、その使節団の一員として各国を歴訪しました。初めて訪れたスイスでは、景観の美しさに「観光都市とは言え、道路に塵ひとつ落ちていない。四六時中、いつでも綺麗にして保つことはできるものなのだろうか?」と疑問を抱き、良くないことと知りつつも試しに紙くずを道に落としてみる。すると市村の後方を歩いていた立派な身なりの重役風の紳士が市村の行為を非難するわけでもなく、当たり前に紙くずを拾いごみ箱へ。なぜこれほどに綺麗なのかという疑問はたちまちに氷解したのでした。ごみは捨てない、見つけたら片付ける。という単純な行いが街の景観を保っていることを知り、すっかり恐縮してしまったそうです。

画像:ラクダに乗る(エジプト:1956年9月)

ラクダに乗る
(エジプト:1956年9月)


画像:フォトキナに初出展(1956年9月)

フォトキナに初出展
(ドイツ:1956年9月)

2回目の世界一周は、理研光学(株)の社長としてドイツ・ケルンで開催されるカメラの国際見本市「フォトキナ」を視察するために1956年9月に出発しました。出発の際には羽田空港に大勢の関係者が見送りに来るほど、当時の海外視察は賑々しいものでした。市村の移動ルートは香港、タイを経由してパキスタン・カラチからエジプトへ。カイロからイタリア・ローマを経由してようやくドイツのケルンに到着しました。理研光学はこの年、初めてフォトキナに出展。大ヒットカメラ「リコーフレックス」を出展し現地マスコミや来場者、世界市場にリコーフレックスを大々的にPRしました。当時、カメラの生産は手工業で月産20〜30台がやっとの時代に、市村はベルトコンベアによるカメラの大量生産ラインを考案し、月産2万台を可能にしました。画期的な生産システムによって低価格を実現し、カメラの大衆化に貢献したのです。フォトキナ会場で活況を呈する様子はリコーフレックス人気を証明しているかのようです。ドイツでのカメラ市場の視察を終えて、次の目的地は北米。ニューヨークで現地のカメラディーラーを表敬訪問するなどした後立ち寄ったのがマイアミです。マイアミでは、以前にご紹介したようにオーキッド300本を植えたイチムラ・パークの建設をしました。また、米国で既に発達していたリース業を視察し、「日本にも物を貸す商売があったらどんなに便利だろう」と実感した市村は、のちに「何でも貸します」のキャッチフレーズで有名となった日本初のリース業となる日本リース・インターナショナルを設立。さらに、ニューヨーク訪問で感じた独創的なビルディングの数々から着想を得て建てた銀座4丁目の三愛ドリームセンターなど、市村が海外視察から得たもの、閃いたものは半世紀たった今でも時代にマッチしていると思いませんか?

そして、市村が最後に周った世界一周の旅は生涯の伴侶として市村に寄り添ってきた幸恵夫人を伴ったものでした。二人が羽田空港のタラップから意気揚々と手を振る姿に、見送りに来た人達も感無量だったことでしょう。

画像:見送りの人に笑顔で手を振る市村夫妻(羽田空港)

笑顔で手を振る市村夫妻
(羽田空港)

画像:サン・ピエトロ大聖堂広場にて(バチカン市国)

サン・ピエトロ大聖堂広場にて
(バチカン市国)

画像:ゴールデンゲートブリッジ(サンフランシスコ)

ゴールデンゲートブリッジ
(サンフランシスコ)