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今月の市村清

“今月の市村清”―2018年7月編―

佐賀中学校 中退
きっかけは飛行機ショーの観覧料、5銭

画像1:佐賀中学校(当時)

佐賀中学校(当時)*1

市村清は貧しさゆえに中学進学はあきらめていましたが、小学校の先生の勧めで佐賀県トップの佐賀中学校を受験し見事合格しました。合格してみると、進学しないのはもったいないと思うのが人情。しかも名門校に合格したことで鼻高々の父豊吉は、佐賀に住む実姉の原口チヨフに事情を話し援助を懇願。そうして、入学準備から学費まですべて面倒見てもらい、伯母の家から通学することになりました。……と、ここまでは、2018年3月公開の「今月の市村清」でのお話

晴れて中学生になれたことは、清にとって望外の喜びであり、誇りでした。

伯母の厳しいしつけや食事の差別も、丁稚奉公にやられ勉学の道を断たれることを思えば我慢できました。さらに清は、朝は誰よりも早く起きて近くの川から水を汲み、学校帰りには家裏の畑を開墾するなど、伯母の恩に報いるために学業以外でも一生懸命励んだのです。

2年生に進級し、夏休みも目前に迫った頃、R・スミスというアメリカ人の飛行機ショーが佐賀の練兵場で開催されることになり、佐賀中学校でも希望者を引率して見学に行くことになりました。観覧料は5銭。学友たちもワイワイ騒ぎ、清も気持ちを抑えられなかったのでしょう。義兄の原口英雄にその5銭を出して欲しいと頼んでみました。

すると返ってきたのは義兄の厳しい言葉でした。

「飛行機なんて飛んでくれば家の窓からだって見られるじゃないか。そんな暇があったら勉強しろ」

「義兄さん、飛行機なんて初めてなんだ。たった5銭で見られるんだから、やってくれよ」

「おまえはいったい自分がどんな身分だと思っているんだ。人並みの気を起こすんじゃない。おれの言うことがわからんのか」

どんなにせがんでも許してもらえず、清はあきらめるほかありませんでした。

それは情けなく、そして悔しく無念でした。清は自室に閉じこもって一日中泣いていました。

画像2:佐賀中学校の制服

佐賀中学校の制服*2

この出来事は夏休みで実家に帰省しているときも絶えず清の心に浮かんでは悔しい思いを呼び起こしました。そして、このような無念な思いをしてまで学校に通うことに抑え切れぬ反抗心が募り、意地でも戻る気がしなくなりました。ついに、新学期が始まっても佐賀の伯母の家には帰らず、そのまま佐賀中学校を中退してしまったのです。

清14才のときでした。

市村清の人生を大きく変えた飛行機ショーは、1914(大正3)年7月11日と12日の両日、現在の佐賀県総合運動場で開催され、連日『佐賀新聞』に大きく報じられていたのでした。

*1 写っている人物は市村清ではありません。

*2 市村清が着ていた制服ではありません。